初めての長野4名城 完全攻略ガイド

長野県4名城 城旅
松本城

松本城・上田城・小諸城・松代城 縄張・歴史・見どころを徹底解説

はじめに ―なぜ長野の城は特別なのか

長野県は、日本列島のほぼ中央に位置する内陸の要衝です。「甲斐・越後・上野・遠江・三河・飛騨など、数多くの隣国と国境を接する信濃(長野)の地は、戦国期において「天下取りへの道」として多くの武将が血眼になって争った戦略的な土地でありました。武田信玄・上杉謙信・徳川家康・豊臣秀吉……名だたる英雄たちが、この地の覇権をめぐって激突しました。

その激動の歴史が、今も城郭という形で地上に刻まれています。本稿では、国宝天守を持つ松本城を筆頭に、真田氏の牙城・上田城、「懐古園」として知られる小諸城、そして真田家ゆかりの松代城の4城を、歴史的・建築的・軍事的観点から徹底的に解説します。

松本城 ―国宝天守・五重六階の漆黒

基本データ

項目詳細補足
別名深志城・烏城(からすじょう)漆黒の外壁が由来
築城年文亀年間(1504〜1508頃)小笠原氏が深志城として築城
現存天守国宝(昭和11年指定)現存十二天守のひとつ
天守構造連結複合式 五重六階月見櫓・辰巳附櫓を複合
所在地長野県松本市丸の内4-1JR松本駅より徒歩約15分
文化財指定国宝・史跡本丸・総構えの一部が現存

歴史的背景

松本城の前身である深志城は、小笠原氏によって築かれたとされていますが、戦国の動乱の中でたびたびその支配者を変えました。天文19年(1550年)には武田信玄が占領し、信濃支配の拠点として整備。しかし武田氏滅亡後は織田・徳川の勢力圏に移り、最終的に石川数正・康長父子が入城して現在の天守を完成させました(1593〜1594年頃)。

特筆すべきは、江戸時代を通じて天守が解体されなかった点です。幕府による「一国一城令」が発令された後も、城主松本藩主の尽力によって維持され続けました。明治維新後には廃城令による危機もあったが、地元住民の熱意ある保存運動により存続。国宝指定という栄誉に至る長い歴史を持ちます。

縄張と建築の見どころ

松本城の縄張は、中山道を意識した不整形な平城である。外堀・内堀・本丸と同心円状に配置される典型的な輪郭式ではなく、自然地形に沿った輪郭式をとる点が興味深いです。

天守は「大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟」からなる「連結複合式天守」であり、これは現存例としては松本城のみに見られる希少な形式です。大天守の内部は六階建てで、最上階(六階)では360度の展望が得られます。各階の鉄砲狭間・矢狭間の配置も緻密に計算されており、防衛機構として完成度が高いです。

  • 外観の漆黒と白漆喰のコントラストは「烏城」の異名の由来
  • 月見櫓は三代将軍・徳川家光の来訪に備えて増築されたとされ、戦闘向けの設備を持たない平和な構造物。道中の善光寺地震などによって中止(幻に終わった)になりました
  • 大天守最上階に祀られる二十六夜神は城を守る神として現在も信仰される
  • 石落とし・武者走り・鉄砲狭間など戦国期の防衛設備が江戸期の增改築と混在し、変遷が一覧できます

上田城 ―真田昌幸の知略が生んだ鉄壁の要塞

基本データ

項目詳細補足
別名尼ヶ淵城・真田城築城者の真田氏にちなむ
築城年天正11年(1583年)真田昌幸が築城
現存遺構南櫓・北櫓・西櫓(県宝)江戸時代に築かれた
縄張形式梯郭式平城千曲川・尼ヶ淵を外堀に利用
所在地長野県上田市二の丸6383JR上田駅より徒歩約10分
文化財指定国指定史跡二の丸・土塁・堀が良好に残存

歴史的背景

上田城最大の見せ場は、二度にわたる「上田合戦」である。第一次上田合戦(1585年)では、真田昌幸がわずか2,000の兵をもって徳川家康の7,000〜10,000の大軍を撃退。第二次上田合戦(1600年)では、昌幸・信繁(幸村)父子が徳川秀忠の3万8,000の大軍を6日間にわたって足止めし、秀忠軍を関ヶ原本戦に間に合わせなかったことは余りにも有名です。

関ヶ原合戦後、西軍についた昌幸・信繁は高野山に流罪となり、上田城は徳川軍によって徹底的に破却されましたた。その後、仙石忠政によって城は再建されましたが、徳川幕府への遠慮もあって天守は作られなかったとされます。

縄張と建築の見どころ

上田城の縄張の最大の特徴は、千曲川の断崖(尼ヶ淵)を南の天然の堀として利用した地形の巧みな活用にあります。本丸・二の丸・三の丸を東から西へ階段状に配置する梯郭式を採用し、城の弱点である南面を絶壁で守ります。

昌幸の軍事的天才が城の構造そのものに反映されており、二重の堀と土塁、西の丸からの側射(敵の横腹を狙う射撃)の死角設計など、攻城戦を熟知した者だけが設計できる縄張です。

  • 東虎口の桝形は櫓門や横矢掛けを組み合わせた典型的な桝形虎口で、城内に点在する西櫓などには石落としも見られます
  • 南面の尼ヶ淵は現在も断崖が残り、往時の天険の雰囲気を体感できます
  • 真田石(巨石)は、のちに松代へ移封となる真田信之が父・昌幸の形見として持ち出そうとしたが、あまりの重さに微動だにしなかったという伝説が残ります
  • 城内に点在する「六文銭」紋は真田氏の象徴。城全体が「真田ブランド」の発信地です

小諸城 ―城下町より低い「穴城」の謎

基本データ

項目詳細補足
別名穴城・白鶴城・鍋蓋城城が城下より低いことが由来
築城年永正年間(1504〜21年)大井光忠が築城とされる
現存遺構大手門・三の門(重要文化財)天守は1626年の落雷で焼失、現在は天守台のみ
縄張形式梯郭式平山城(穴城)浅間山の火山灰台地と谷を利用した独特の構造
所在地長野県小諸市丁311しなの鉄道・JR小海線「小諸駅」より徒歩約3分
文化財指定国指定史跡現在は「懐古園」として公開

歴史的背景

小諸城の歴史は複雑である。大井氏の砦が武田信玄に攻略され、武田氏は大規模な築城工事を実施しました。現在の縄張の骨格はこの武田期に形成されたとみられます。武田氏滅亡後は仙石秀久が入城し、大手門・三の門などを整備しました。

江戸時代には小諸藩の居城として続いたが、廃藩置県後に城は廃城しました。明治時代に城跡は懐古園として開放され、現在では桜の名所として知られます。詩人・島崎藤村が小諸に赴任していたことから「千曲川旅情のうた」と深く結びついた地でもあります。

縄張と建築の見どころ

小諸城の最大の特異性は「穴城」という地形にある。日本の城の多くは背後の山を利用するか、平地に高石垣を築くが、小諸城は城下町よりも本丸が地理的に低い位置にあります。これは千曲川の侵食によって形成された断崖を防衛ラインとして活用した結果であり、城郭史上極めて珍しい事例です。

  • 城の玄関口である大手門から三の門へ向かって一気に下り、そこから本丸へと再び緩やかに上がっていく、起伏に富んだ独特の穴城構造
  • 天守台の石垣は野面積み・天守台の石垣は野面積(のづらづ)みで築かれ、武田時代や仙石時代の面影を今に伝えます
  • 大手門は東日本を代表する桃山風の重厚な二階建ての櫓門で、国の重要文化財
  • 懐古園内の小山敬三美術館では、小諸城跡や浅間山を描いた洋画も鑑賞可能

松代城 ―真田信之が治めた北信濃の要衝

基本データ

項目詳細補足
別名海津城・貝津城武田期の呼称が有名
築城年永禄3年(1560年)頃武田信玄の命で山本勘助が縄張とされる
現存遺構太鼓門・石垣・土塁・堀(復元含む)平成期に大規模復元整備
縄張形式輪郭式平城千曲川の水運と北陸道を掌握
所在地長野県長野市松代町松代44長野駅よりバス約30分
文化財指定国指定史跡城跡は「松代城址公園」

歴史的背景

松代城(海津城)は、武田信玄が越後の上杉謙信への備えとして北信濃支配の拠点に築いた平城です。縄張は軍師・山本勘助が手掛けたと伝えられ、千曲川の水を外堀に引き込んだ水城としての性格を持地ます。川中島合戦(1553〜1564年)の舞台となった善光寺平の中央に位置し、千曲川の水運と陸路を掌握する戦略的要地でした。

武田氏滅亡後、上杉氏・森氏を経て、関ヶ原合戦後に真田信之(幸村の兄)が上田から移封されて松代藩10万石を立藩。以後、真田家が明治維新まで13代にわたって治め続けました。城下には藩校・文武学校や真田邸など江戸期の武家文化が色濃く残り、城郭とあわせて「松代の城下町」として一体的に散策できる点が他の3城と一線を画します。

縄張と建築の見どころ

松代城の縄張は本丸を中心に二の丸・三の丸が取り囲む輪郭式平城の典型であり、千曲川から引水した水堀が城の全周を覆う「水城」構造が最大の特徴だ。平成の復元整備では、太鼓門・橋詰門・石垣・土塁・内堀が往時の姿に再現され、城郭の全体像を視覚的に体験できす。

  • 太鼓門は威風堂々たる櫓門して復元。前方の前門(冠木門)とあわせた桝形虎口の構造をしています
  • 水堀の水面に映る石垣と土塁のコントラストは、平城ならではの景観美を誇ります
  • 城跡から徒歩圏に真田邸・文武学校・旧横田家住宅などが点在し、「松代まるごと見学」が可能
  • 近隣の松代大本営地下壕(太平洋戦争末期の遺構)とセットで訪れると、戦国から近代までの歴史を一望できます

長野4名城 比較早見表

比較項目松本城上田城小諸城松代城
時代戦国〜江戸戦国〜江戸戦国〜江戸戦国〜江戸
関連人物石川数正真田昌幸仙石秀久真田信之
天守国宝現存なし台のみ残存なし
縄張形式梯郭式+輪郭式平城梯郭式平城穴城(梯郭)輪郭式平城
見どころ漆黒の天守三の門水堀・太鼓門
熊対策不要(市街地)不要(市街地)念のため注意(千曲川・谷沿い)不要(周辺の山へ行くなら注意)

城郭マニアのための訪問ガイド

最適な訪問シーズン 4城を一挙に攻めるなら、春(4月)と秋(10月〜11月)がベストです。春は松本城や高遠に並ぶ桜、上田城の千本桜が絶景を演出し、秋は松代城や小諸城(懐古園)の深い紅葉と、石垣・水堀のコントラストが見事な景観美を見せてくれます。

巡城の推奨ルート 東信から中信へ一方向に突き抜けるルートが、移動ロスがなく最も効率的です。

  • 1日目:小諸城(午前)→ 上田城(午後) ※小諸から上田は車で約30分。
  • 2日目:松代城(午前)→ 松本城(午後) ※上田方面から松代は車で約35分、松代から松本は高速利用で約50分。

松代城は長野駅からバスでアクセスも良く、周囲の真田邸や文武学校などの城下町散策と合わせて半日〜1日を確保するのが理想です。 城郭検定受験者は、特に小諸城の「田切地形(深い谷)」や上田城の「西の丸の横矢」の縄張図を事前に頭に入れ、現地で高低差を歩きながら検証するのが上級流儀です。

おすすめの理由

初めてお城巡りをされる方にお勧めするエリアはありますか?私はこんな質問をいただきましたら、迷わず「長野県」と回答します。国宝天守があり、大河ドラマの主人公が関わった名城、そして極上のグルメや温泉まで、長野県にはそのすべてが揃っているからです。

日本一多くの県(8県)と国境を接する長野県は、交通の便も良くアクセスしやすいのが魅力。車はもちろん、公共交通機関を使って電車やバスで巡ることも十分に可能です。

実際にこの記事で紹介した4名城は、すべて私が足を運んで感動した場所ばかり。国宝天守・松本城の圧倒的な美しさ、物語性の強い上田城、江戸時代にタイムスリップできる松代城と周辺の武家文化、そして独特の地形を持つ小諸城。どこを訪れても100%満足できることを保証します。一泊二日もしくは二泊三日の旅行プランを考えるならば、間違いなくこの4名城を中心に組みます。

「お城巡りって、本格的な山道を歩いたり、事前の準備が大変そう……」 そんな風に思っている方にこそ、まずはこの長野の4名城を強くおすすめします。深い山奥へ入るような厳しい登山や専門的な装備の心配がなく、駅やバス停からのアクセスが良い平城・平山城でありながら、国宝天守から唯一無二の穴城まで、日本の城郭の多様な魅力がすべてここに凝縮されているからです。

旅の終わりには、美味しい信州そばと名湯があなたを優しく癒やしてくれます。初めての一歩にふさわしい鉄板のルートで、素晴らしいお城ワールドへの扉を開いてみてください!

次は秋もしくは春に再訪問したいです。