福井県を代表する歴史スポットである「福井城」と「北ノ庄城(北の庄城)」。 実はこの2つの城跡、徒歩10分〜15分ほどの距離にあり、歴史的にも非常に深い繋がりを持っています。
「初めて訪れるけれど、どこを見ればいい?」「2つの城はどう関係しているの?」

そんな疑問を持つ方に向けて、歴史のストーリー、現地で絶対に見逃せない建築的・石垣的な見どころ、そして効率よく両方を巡るおすすめの徒歩ルートまでを網羅してご紹介します。
福井城と北ノ庄城(北の庄城)の深い歴史的つながり

今でこそ別の史跡として整備されていますが、福井城がある場所は、かつて柴田勝家が築いた北ノ庄城の敷地の一部、あるいは至近に重なっています。
柴田勝家の「落日の城」から結城秀康の「天下普請」へ
天正4年(1576年)、織田信長の重臣・柴田勝家が越前支配の拠点として築いたのが北ノ庄城です。当時はルイス・フロイスの記録にも残るほどの大規模な城郭で、九層(あるいは層塔型)の巨大変守を持っていたと伝わります。しかし天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れた勝家は、妻のお市の方(信長の妹)とともに城に火を放ち自刃。幻の巨城はわずか数年で灰塵に帰しました。
関ヶ原の戦い後、この地に新たに入封したのが徳川家康の次男・結城秀康です。秀康は勝家の北ノ庄城の遺構を大きく取り込み、さらに大規模な天下普請によって慶長11年(1606年)に新たな城を完成させました。これが現在の福井城の原型です。
北の庄」から「福井」へ――改名の裏にある2つの歴史ミステリー
松平忠昌が地名を改める際、なぜ「福井(当初は福居)」という美しい名前を選んだのか。これには歴史上、2つの強力な説が伝わっています。

説1:『敗北』を嫌った武家のこだわり 古文書『真雪草紙』などには、「北」という字が「敗北」や「逃げる」を連想させ、軍陣において不吉であるため改名したと記されています。柴田勝家の最期の地でもあるため、縁起を担いで「福が居る場所=福居」としたという説です。
説2:天守台に湧き出る名水『福の井』が由来 もう一つの有力な説が、現在も天守台の脇に残る井戸「福の井」です。忠昌公がこの素晴らしい井戸を「福井の井戸」と名付け、それがそのまま城や街の名前になったという藩の記録も残されています。
初めての福井城跡・外せない見どころ3選

現在の福井城跡は、本丸跡に福井県庁や県警本部が建つという独特な景観ですが、周囲を囲む水堀や石垣の遺構は見応え抜群です。
城名の由来!本丸天守台と「福の井」

本丸の北西隅には、かつて4重5階の天守がそびえていた立派な天守台石垣が残っています。

万治2年(1659年)の火災で天守が焼失した後は再建されず、四隅に控える櫓がその威容を補っていました。 この天守台のすぐ脇にあるのが、城名の由来となった井戸「福の井」です。福井大震災や幾度もの戦火を乗り越え、今もなおこんこんと水を湛えています。
現代に蘇った木造建築「御廊下橋」と「山里口御門」

本丸の西側、西三の丸との間に架かるのが、平成14年(2002年)に復元された「御廊下橋(おろうかばし)」です。藩主がプライベートで居住エリアと公式エリアを行き来するために使われた屋根付きの木造橋で、全国的にも貴重な遺構の復元です。

さらに平成29年(2017年)には、この橋を渡った先にある「山里口御門(やまざとぐちごもん)」の櫓門や棟門、雁木(がんぎ)が木造で忠実に復元されました。強固な枡形虎口(ますがたこぐち)の構造を肌で体感できます。
笏谷石(しゃくだにいし)が織りなす美しい石垣

福井城の石垣を語る上で欠かせないのが、福井の名産である青みがかった銘石「笏谷石(しゃくだにいし)」の存在です。特に本丸周囲の石垣や天守台には、天下普請ならではの精緻な「切込ハギ(きりこみはぎ)」技術が見られます。晴れた日も美しいですが、雨や水に濡れると笏谷石特有の深い青緑色が引き立ち、独特の凄みを見せてくれます。
幻の巨城の痕跡を探す!北ノ庄城址(柴田公園)の見どころ
福井城から南へ約10分ほど歩くと、柴田勝家の終焉の地である「北ノ庄城址(現在は柴田公園)」に到着します。

地中に眠っていた柴田勝家時代の石垣遺構

一見すると小さな公園ですが、最大の見どころは敷地内に露出展示されている「柴田勝家時代の北ノ庄城の石垣」です。 福井城の石垣よりもさらに深い地層から発掘されたもので、同じ笏谷石を使いながらも、加工をあまり施さない荒々しい「野面積み(のづらづみ)」の技法で作られています。すぐ近くにある福井城の精緻な石垣と見比べることで、わずか数十年の間に進歩した石垣技術の歴史的変遷を目の当たりにできます。
歴史の哀愁漂う「柴田勝家・お市の方・浅井三姉妹」の像

公園内には、柴田神社が鎮座しており、柴田勝家公やお市の方、そして浅井長政との間に生まれた「浅井三姉妹(茶々・初・江)」の銅像が並んでいます。

戦国の世に翻弄されながらも、のちに織田・豊臣・徳川の血筋を繋ぐことになる三姉妹の出発点がここにあると思うと、歴史のロマンと哀愁を感じずにはいられません。
無料で見学できる「北の庄城址資料館」

公園内に併設されている資料館(入場無料)では、発掘調査によって出土した柴田勝家時代の瓦や土器が展示されています。また、当時の北ノ庄城の推定復元模型もあり、九層とも言われた幻の天守がどのような姿だったのか、想像を膨らませることができます。
【徒歩10分】両城をワンセットで巡るおすすめ散策ルート
福井城と北ノ庄城は、位置関係が非常に直線的で分かりやすいため、徒歩でのセット巡りが最適です。全体の所要時間は約1時間〜1時間半です。
福井駅発着・所要時間約2時間の王道モデルコース

- 福井駅(西口)スタート
- 恐竜王国・福井の象徴である動く恐竜のモニュメントをみてから福井城跡へ向かいましょう。
- 徒歩約5分 ➔ 福井城跡(滞在:約30分)
- 中央公園側、または御本丸大手を渡って敷地内へ。
- 「御廊下橋」を渡って「山里口御門」をくぐり、本丸へ侵入。
- 天守台に登り、「福の井」を見学。
- 徒歩約10分 ➔ 北ノ庄城址・柴田公園(滞在:約30分)
- 福井城の南側(福井県庁正面側)から出たら、そのまま南へ直進。路面電車の走る通りを越えて少し進むと柴田公園が見えてきます。
- 発掘された野面積みの石垣遺構を観察し、柴田神社へ参拝。
- 「北の庄城址資料館」で勝家時代の出土品と復元模型をじっくり見学します。
- 徒歩約10分 ➔ 福井駅へ
- 公園から駅まではほぼ一本道で戻ることができます。
車でのアクセスとおすすめ駐車場情報
車で訪問される場合、福井城の敷地内(県庁敷地内)は平日の一般駐車が制限されていることが多いため、周辺のコインパーキングの利用が便利です。 特におすすめなのは、北ノ庄城址のすぐ近くにある無料の「北庄城址観光駐車場」です。ここに車を停めれば、まずは北ノ庄城址を見学し、そこから徒歩で福井城跡へ向かう逆ルートの散策がスムーズに行えます。
福井城跡のマップ
北ノ庄城址のマップ
【現地レポート】福井城跡と北ノ庄城址を歩く――落城の歴史が紡ぐ物語と、現代の遺構に抱いた「率直な思い」
2026年5月4日、初めて福井城跡と北ノ庄城址を訪問しました。この地は非常に物語性の強い場所です。大河ドラマ「豊臣兄弟!」でもこの地は間違いなく描かれるでしょう。お市様と浅井三姉妹の物語は非常に強烈です。お市様の長女、茶々(淀殿)は3回落城を経験しました。その度に大切な人たちを失うことになりました。最後はご自身の命も。

いつしか茶々は大河ドラマの主人公として描かれるでしょう。 だからこそ福井城跡や北ノ庄城址の遺構をもっと保存して欲しかったですね。正直申してガッカリ感は否めないです。
いずれ本丸跡にある県庁や県警本部の建て替えの話が出てくるでしょう。その時、県庁や県警本部の移転の話も出てくるかもしれません。2040年以降に移転の構想は存在しております。何か復元して欲しいものです。

実のところ、私たちがそんな未来に寄せる「復元への願い」は、ただの叶わぬ夢ではありません。実は今、福井城ではまさにその歴史を動かす大きなプロジェクトが、目の前で進行しています。
現在、福井城の本丸南西角では、かつて天守に代わって城のシンボルとして君臨していた巨大な「坤櫓(ひつじさるやぐら)」と、それに続く長さ約106メートルに及ぶ「土塀」の木造復元工事が進められています。
この坤櫓は、万治2年(1659年)に天守が焼失した後に再建され、明治初期に解体されるまで約200年間、福井城の「代用天守(実質的な天守)」としての役割を担っていた建物です。高さは約16メートルにも及び、これが復元されれば、本丸の景観はガラリと変わります。

現在も発掘調査や工事のための足場が組まれるなど、まさに歴史が再び息を吹き返そうとする鼓動が現地で感じられます。平成に復元された「御廊下橋」や「山里口御門」に続き、この坤櫓がかつての石垣の上に再びその威容を現したとき、福井城が持つべき圧倒的な立体感と本来の魅力が、一気に引き出されるはずです。
この壮大な復元プロジェクトは、2029年度の完成に向けて動き出しています。無事に完成を迎えた暁には、新しく生まれ変わった姿を確かめに、必ずもう一度訪問します。


