豊臣秀吉の天下統一事業を陰で支えた弟、豊臣秀長(羽柴秀長)。彼が但馬国(現:兵庫県北部)を治める拠点としたのが、壮大な山城、有子山城(ありこやまじょう)です。
この城での秀長の支配は短期間でしたが、彼の武将・政治家としてのキャリアにおいて重要なステップであり、さらには「築城の名手」のキャリアをスタートさせた地としても知られています。
豊臣秀長が有子山城の城主になった背景
有子山城は、秀長が但馬の支配権を確立する上で不可欠な城でした。
但馬平定戦の総仕上げとしての有子山城攻め
天正年間(1573年~1592年)後半、織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、中国地方の毛利氏と対峙するため、播磨・但馬の平定を進めました。
- 但馬の支配者: 当時、但馬国は室町時代からの名門・山名氏が支配しており、その本拠がこの有子山城でした。
- 秀長の功績: 秀長は、天正8年(1580年)に兄・秀吉の命を受け、この山名氏の居城である有子山城を攻め落としました。これにより但馬平定は完了し、秀長の武将としての功績が認められます。
但馬・播磨の所領拝領

但馬平定の功績により、秀長は但馬国7郡と播磨国2郡、合わせて約10万石(またはそれ以上)の所領を与えられ、有子山城の城主として但馬支配の責任者となりました。この時期の秀長は、単なる武将ではなく、広大な領地を治める領国経営者としての手腕を発揮し始めます。
秀長時代の有子山城:藤堂高虎の築城術の原点
秀長が有子山城を治めた時期は、後の歴史に大きな足跡を残す人物を世に出すきっかけにもなりました。
築城の名手・藤堂高虎の初仕事

秀長の家臣団の中で、特に目を引くのが藤堂高虎です。高虎の一代記には、「28歳の時に、羽柴秀長の命により出石(有子山)の築城を命ぜられた」という記録が残っています。
- 石垣の謎: 有子山城には堅固な石垣が残されていますが、これは山名氏が築いたものではなく、秀長の支配下で改修された際のものと推測されています。
- 高虎の原点: 高虎が初めて手がけた石垣の城が有子山城であった可能性が高く、「築城の名手」のキャリアの原点が、この豊臣秀長の命による有子山城の改修にあったとされています。
山麓の居館整備(出石城の始まり)
秀長は山頂の有子山城だけでなく、領国支配の拠点として、山麓に居館の整備も進めました。これが後の出石城の礎となり、但馬の中心地が形作られていきました。
秀長のキャリアにおける有子山城の重要性
有子山城主であった期間(約3年間)は短かったものの、秀長の生涯において重要な意味を持ちます。
- 「戦」から「政」へ: 三木合戦や賤ヶ岳の戦いなどに参戦した秀長が、この地で本格的な領国経営に着手しました。但馬支配を通じて培った行政手腕が、後に彼が大和郡山城主(大和・紀伊・和泉100万石の宰相)として豊臣政権の屋台骨を支える礎となったのです。
- 人材登用: 藤堂高虎という優秀な人材を見出し、重要な任務を与えたことは、秀長が兄・秀吉に匹敵する人を見る目を持っていた証拠でもあります。
有子山城跡の情報とアクセス
有子山城跡(続日本100名城「出石城・有子山城」)
有子山城(ありこやまじょう)には、現存する、あるいは復元された天守はありません。
ただし、山城の本丸(主郭)には天守台や櫓台と思われる高台の遺構が残っています。
| 項目 | 詳細情報 |
| 所在地 | 〒668-0213 兵庫県豊岡市出石町内町(有子山山頂) |
| 料金 | 無料(城跡への入場に料金はかかりません) |
| 営業時間 | 24時間(山城のため、入城時間に制限はありませんが、登城は明るい時間帯が推奨されます) |
| 構造 | 連郭式山城(山名氏築城後、豊臣秀長・藤堂高虎らにより改修) |
| 遺構 | 石垣(野面積み)、曲輪、堀切、竪堀など。本丸には天守台の遺構とされる高台があります。 |
| 見どころ | 本丸からの出石の城下町(盆地)を一望する絶景。藤堂高虎が手がけたとされる石垣。 |
アクセス情報
有子山城へ登城するには、まず山麓の出石城跡(またはその周辺)を目指します。
車でのアクセス・駐車場
- 最寄りのインターチェンジ: 播但連絡道路「和田山IC」から車で約30分。
- 駐車場: 有子山城跡自体には駐車場はありません。山麓の出石城周辺の有料駐車場を利用します。
- 出石観光駐車場などを利用(1回400円程度)。
公共交通機関でのアクセス
- JR:JR山陰本線「豊岡駅」で下車。
- バス:「豊岡駅」から全但バスに乗り換え、「出石」バス停で下車。
- 登山口へ:バス停から出石城跡を経由して、有子山城跡登山口へ向かいます(徒歩圏内)。
登城について
有子山城は山頂に築かれた山城であり、登山口から本丸跡までは急峻な山道を登る必要があります。
- 所要時間(目安): 登山口(出石城付近)から本丸まで片道約40分〜1時間程度かかります。
- 準備: 軽装での散策は難しいため、動きやすい服装と靴(スニーカー、トレッキングシューズなど)で登城してください。
注意点: 山城のため、足場が悪い箇所があります。特に雨天や冬季(積雪・凍結)は危険が増すため、天候や積雪情報には十分ご注意ください。
まとめ:有子山城は豊臣秀長が「大和大納言」へ飛躍した足掛かり
豊臣秀長と有子山城の関係は、単なる城主・城の関係に留まりません。
有子山城は、秀長が兄の補佐役から一国を治める大名へと成長した場所であり、さらには歴史的な築城家・藤堂高虎の才能が開花した場所でもあります。
有子山城跡を訪れる際は、秀長がこの地で但馬を見下ろし、後の豊臣政権を支える礎を築いていた、その歴史の深さを感じてみてはいかがでしょうか。


