兵庫県朝来市にそびえる竹田城跡。「雲海に浮かぶ姿」から「天空の城」として知られ、多くの観光客や写真愛好家を魅了し続けています。
しかし、この壮麗な石垣群の背後には、単なる絶景以上の歴史が隠されています。その物語の主役の一人が、稀代の天下人・豊臣秀吉を支え続けた大番頭、豊臣秀長です。豊臣秀長は2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公です。
秀長は、この難攻不落の山城をどう攻め落とし、但馬支配の拠点としたのでしょうか。本記事では、竹田城の歴史を紐解き、秀長がこの地に残した足跡と、現在の観光の魅力までを徹底解説します。

豊臣秀長、難攻不落の竹田城を攻略す
竹田城が戦国時代の歴史の表舞台に立つのは、織田信長や羽柴秀吉(豊臣秀吉)の勢力が西へ拡大する天正年間(1573〜1592年)です。
当時、但馬国(現在の兵庫県北部)は毛利氏に組する勢力が強く、織田信長の中国方面攻略を進める羽柴秀吉にとって、但馬の平定は重要な課題でした。
この但馬攻略の主役を任されたのが、秀吉の弟・羽柴秀長(豊臣秀長)でした。
但馬攻めと竹田城の陥落
秀長軍が但馬に侵攻した天正5年(1577年)。その目的は、生野銀山の確保と、毛利方に属する武将の制圧でした。
秀長は、生野銀山に近い岩洲城を落とした後、竹田城へ攻め寄せます。竹田城は、天然の要害を利用した山城であり、毛利方の武将・太田垣氏が守る堅固な城でした。
『信長公記』によれば、数千の秀長軍が城に攻めかかり、三日間の激闘の末に竹田城はついに落城。秀長は城の普請(土木工事)を命じ、一時的に城代として竹田城に入城したと記録されています。
竹田城は、秀長にとって、但馬支配と重要な財源である生野銀山を掌握するための、戦略上欠かせない拠点となったのです。
虎臥城の石垣に秀長の面影を探る
現在の竹田城跡で私たちを圧倒するのは、見事なまでに残る石垣群です。竹田城は、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう/こがじょう)」とも呼ばれます。
秀長が城代を務めた期間は短かったものの、彼はこの城を豊臣政権の拠点として整備する役割を担いました。今日残る石垣の多くは、秀長以後の豊臣方の城主(桑山氏、赤松氏など)によって完成されましたが、豊臣系の技術と築城術が竹田城に導入されるきっかけを作ったのは、まぎれもなく秀長だったと言えるでしょう。
約400メートルにわたる壮大な石垣を見上げるとき、私たちは、天下統一を支えた豊臣秀長の野心と、この城に込めた思いを感じ取ることができるかもしれません。

現在の竹田城
建物は現存しない(遺構のみ): 竹田城は、関ヶ原の戦いの後に廃城となったため、天守や櫓(やぐら)、門などの建物はすべて失われています。現在見られるのは、壮大な石垣と曲輪(くるわ)の配置(縄張)のみです。

天守台は残っている: 城跡の中央の最も高い位置には、天守閣を支えていた石垣の土台(天守台)が残っています。竹田城跡はこの天守台を中心に、南北約400メートルにわたる石垣群が連なる構造になっています。

天守閣の規模(推定): 残された天守台の規模や礎石の跡から、当時の天守閣は3重3階(さんじゅうさんかい)の建物であったと推定されています。天守台が城下から正面にあたる位置にあることから、権威の象徴として「見せるシンボル」としての役割も大きかったと考えられています。
竹田城跡(虎臥城)へのアクセスと雲海の楽しみ方
豊臣秀長が礎を築いた竹田城は、今や西日本を代表する観光地です。歴史を学び、次は絶景を堪能しましょう。
住所:〒669-5252 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地
電話番号:竹田城跡 (朝来市役所 産業振興課内) 079-672-4003
城跡内の見学時間(石垣を見て回る時間)
約30分~60分
- これは、山頂にある竹田城の石垣の遺構(縄張)を見て回るための目安時間です。
- 写真撮影をじっくり楽しみたい方や、ボランティアガイドの説明を聞く場合は、60分以上かかることもあります。
登城ルート別のおおよその所要時間(片道)
竹田城跡へは、いくつかのルートで登城できます。駐車場や竹田駅から城跡の入り口までの移動時間を含めた目安です。
竹田城跡へは、いくつかのルートで登城できます。駐車場や竹田駅から城跡の入り口までの移動時間を含めた目安です。
| ルート | 移動手段 | 所要時間(片道) | ルートの特徴 |
| 山城の郷ルート | 天空バス+徒歩 | 約30分 | 麓の「山城の郷」(駐車場)からバスに乗り、バス停から徒歩(約20分)で登城。最も一般的なルートです。 |
| 山城の郷ルート | 全行程徒歩 | 約60分~70分 | 「山城の郷」から約1.5kmの登山道を歩くルート(健脚向け)。 |
| 駅裏登山道 | 徒歩 | 約30分~40分 | JR竹田駅から直接登る最短ルート。急な坂道が含まれます。 |
| 南登山道 | 徒歩 | 約60分 | 旧街道の雰囲気を楽しみながら登るルート。 |
【合計時間の目安】
- 最も一般的な「山城の郷(バス利用)ルート」の場合、往復の移動時間と城内見学を合わせて、2時間〜2時間半程度を目安にしておくと安心です。
- 雲海が発生する早朝に登城する場合は、準備や待機時間も考慮して、さらに余裕を持った計画が必要です。
【必見】雲海が発生しやすい条件と時期
竹田城の最大の見どころである雲海は、一年中見られるわけではありません。
| 時期 | 9月下旬〜12月上旬がベスト(特に10月・11月) |
| 時間帯 | 夜明けから午前8時頃まで |
| 気象条件 | 1. よく晴れていること(高気圧に覆われている) |
| 2. 前日の日中と当日の早朝の気温差が大きいこと | |
| 3. 風が弱いこと |
竹田城跡の2大絶景スポット
竹田城の全景、特に雲海に浮かぶ姿を写真に収めたい場合は、城跡本体に登るのではなく、対岸にある「立雲峡(りつうんきょう)」からの眺めがおすすめです。
| スポット | 特徴 |
| 竹田城跡本体 | 石垣の上を歩き、城主の気分を味わえる。天守台からの眺めは格別。 |
| 立雲峡(展望台) | 対岸の山から竹田城の全景を見下ろせる。雲海撮影のベストスポット。早朝は大変混雑するため注意が必要です。 |
竹田城跡本体
立雲峡(展望台)
アクセス方法(車・電車)
・電車の場合: JR播但線「竹田駅」下車。駅から徒歩、または山城の郷(駐車場)行きのバスを利用。
・車の場合: 播但連絡道路「朝来IC」から約10分。山麓の「山城の郷(駐車場)」に駐車し、そこから徒歩またはシャトルバスで城跡へ向かいます。
まとめ:歴史ロマンと絶景を味わう旅へ
豊臣秀長は、兄・秀吉の天下取りを支え、自らも紀州・大和などの大国を治めた傑物です。彼が初めて本格的な「城主」として足跡を残したのが、この竹田城(虎臥城)でした。
壮大な石垣は、秀長が天下統一の過程で但馬国に築いた確かな足跡であり、やがて豊臣の世へ繋がる重要なマイルストーンでした。
「天空の城」としての絶景だけでなく、秀長の歴史ロマンを感じながら城跡を巡れば、竹田城の旅は、より一層奥深いものになるでしょう。ぜひ、歴史と絶景の両方を心ゆくまで堪能してください。


