現地レポート。岩櫃城跡の縄張りと見どころを徹底解説!中城・二の丸・本丸の構造と熊対策アクセスガイド

現地レポート 岩櫃城跡 城ガイド

岩櫃城跡への訪問は、今回で2度目となりました。

岩櫃城跡の案内板.
岩櫃城跡の案内板.

最初の訪問は2025年11月でしたが、当時は連日のように報じられていた熊の出没ニュースに恐れをなし、登城を断念せざるを得ませんでした。そこで今回は、人の行き来が最も多くなる正午前後を狙って現地に向かってみたのですが、これが大正解でした。案の定、案内所は登城客で混雑しており、周囲の人の気配を感じながら安心して足を進めることができました。また、これまで八王子城や春日山城、岩村城といった名だたる山城を巡ってきた経験も大きかったのだと思います。初回訪問時に感じた独特の恐怖感は、幾分和らいでいました。

ここから登城しました。岩櫃山登山口
ここから登城しました。岩櫃山登山口

もっとも、真田昌幸ファンを自認する身としては、岩櫃城は絶対に攻略しなければならないお城です。

岩櫃山登山口から中城址までの山道①
岩櫃山登山口から中城址までの山道①

しかし、いざ足を踏み入れてみると、前回抱いた印象はやはり変わりませんでした。一言で言えば「非常に薄気味悪いお城」です。

岩櫃山登山口から中城址までの山道②
岩櫃山登山口から中城址までの山道②

2026年10月17日時点で、今年訪れた城郭は岩櫃城を含めて25城に上りますが、その中でも岩櫃城は「絶対に攻めたくない城」ダントツの第一位です。

岩櫃山登山口から中城址までの山道③
岩櫃山登山口から中城址までの山道③

とにかく城郭の作りが素直ではありません。攻め手は間違いなく迷子になり、多大な犠牲を強いられる構造になっています。さらに、鉄砲や弓といった遠距離火力を最大限に活かせる配置が施されており、防御側の執念すら感じさせます。

『甲陽軍鑑』によれば、織田・徳川連合軍による甲州征伐の際、真田昌幸は武田勝頼に対し、上野国の岩櫃城へ引き込破って籠城し、再起を図るよう進言したと伝えられています。ですが近年では、この進言自体が後世の創作ではないかという説も根強く存在します。『甲乱記』や『理慶尼記』といった同時代の史料には、そうした記述が見当たらないからです。

潜龍院跡
潜龍院跡(2025年11月の訪問時の写真)

また、岩櫃城の麓には勝頼を迎えるために築かれたとされる「古谷館(現在の潜龍院跡)」の遺構が残っていますが、これも後世の伝承に基づく命名であり、実際に勝頼のために急造されたものかどうかの史料的な裏付けはありません。

――そう、真田昌幸という男は、今なお歴史の闇の中で現代の私たちをも迷わせているのです。

しかし、甲州征伐以降に見せた真田昌幸や幸村(信繁)の恐るべき手腕と暗躍を振り返るとき、「この策謀とこの岩櫃城をもってすれば、武田勝頼を救うことができたのではないか」と、どうしても思わずにはいられません。

「表裏比興(ひきょう)の者」と称された真田昌幸。中には「もし勝頼を岩櫃に迎え入れていたとしても、土壇場で織田方に差し出したのではないか」と疑う声すら耳にします。確かに昌幸は、真田の家を守り抜くため主君や同盟をめまぐるしく変えました。しかし、彼は決して主君の背後から襲いかかったり、寝首をかいたりするような卑劣な振る舞いはしていません。戦の決定的な勝敗を左右するような場面で、直接的な裏切りを働いたわけでもないのです。どこか筋が通っており、憎めないのが昌幸の生き様でした。

城郭構造においても、その人物像においても、真田昌幸という男は本当にどこまでも私たちの評価を迷わせてくれます。

結局のところ、私たちは400年以上の時を超えてもなお、真田昌幸という男の手のひらの上で踊らされているのかもしれません。
複雑怪奇な城郭構造で攻め手を惑わせ、交錯する史料と伝承で歴史家を惑わせ、そしてその測り知れない人間性で歴史ファンを惑わせる。これほどまでに探究心を刺激し、魅了してやまない戦国武将がほかにいるでしょうか。

ますます、真田昌幸のことを深く知りたくなってきました。薄気味悪いほどの圧圧感を放つ岩櫃城の縄張りを後にしながら、胸の中に湧き上がってきたのは、そんな強い確信でした。現代人を迷わせ続ける名将の影を追いかける旅は、まだまだ終わりそうにありません。


平沢登山口観光案内所内の岩櫃城のジオラマ
平沢登山口観光案内所内の岩櫃城のジオラマ

岩櫃城は、岩櫃山の東側斜面を利用し、「中城(なかじょう)」「二の丸」「本丸」が直線状・階段状に配置された連郭式の山城です。

しかし、単なる直線配置ではありません。大手筋から本丸へ至る道中には、攻め手を絶望させる罠が二重三重に仕掛けられています。

中城(なかじょう):広大な前哨陣地と「巨大竪堀」の威圧感

中城址①
中城址①

登山口から進むと、まず現れるのが扇状に開けた広い平地「中城」です。

中城址①
中城址②
  • 特徴・見どころ: 中城は城下からの攻め手を最初に迎え撃つ広大な曲輪(館跡・兵の駐屯地)です。
中央固堀①
中央堅堀①
  • ここから一気に三の丸・二の丸方面へと伸びる全長約330mにも及ぶ「中央竪堀(ちゅうおうたてぼり)」は圧巻の一言。吾妻の歴史を語る
中央竪堀②
中央竪堀②
  • 攻め手の絶望ポイント: 山肌を深く穿った竪堀によって敵の横移動を完全に遮断し、縦一列に侵入せざるを得ない構造に追い込みます。
中央竪堀③
中央竪堀③
  • 上方の曲輪から見下ろされながら、狭い尾根道を通らされるため、まさに狙撃の標的となる恐怖の空間です。

二の丸:本丸防衛の要所と「横矢掛け」の罠

本丸(左側)と二の丸(右側)
本丸(左側)と二の丸(右側)

中城を越え、短い急坂や階段を上った先にあるのが「二の丸」です。

二の丸址からみた本丸址
二の丸址からみた本丸址
  • 特徴・見どころ: 本丸のすぐ真下に位置し、本丸を防衛するための最重要拠点です。二の丸周辺には、堀が鍵型・クランク状に折れ曲がった複雑な空堀や土塁が残っています。
  • 攻め手の絶望ポイント: 直線的に進むことを許さない「横矢掛け(よこやがけ)」の構造が見事です。曲がり角(虎口)に差し掛かって足が止まった攻め手に対し、正面・側面の複数方向(二の丸および頭上の本丸)から弓矢や鉄砲を一斉掃射できるよう設計されています。

本丸:城内で最も広く、秘密に満ちた中枢部吾妻の歴史を語る

岩櫃城本丸址
岩櫃城本丸址

岩櫃城の中心であり、最高所に近い位置に築かれた「本丸」です。

吾妻の歴史を語る

本丸址①
本丸址①
  • 特徴・見どころ: 山城としては異例とも言えるほど広い面積(城内で一番広い曲輪)を誇ります。
本丸の櫓台
本丸の櫓台
  • 発掘調査では、北側に強固に固められた土塁や楼台(櫓)跡、柵列、溝跡などの遺構が確認されています。
本丸址から眺めた堅堀
本丸址から眺めた堅堀
  • 城郭史のロマン(発掘の成果): 近年の発掘では、本丸内部から「鍛冶工房」の痕跡(鉄砲の弾や鎧の小札、金糞など)が発見されました。城内の中枢部で兵器や火薬・武具の修繕を行っていた可能性があり、「籠城戦を徹底的に意識した真田の執念」がここからも窺えます。また、本丸を抜けた岩櫃山頂方向へ続く尾根にも複雑な枡形構造が残っており、最後まで城主を追い詰めさせない工夫が徹底されています。吾妻の歴史を語る
本丸を守る硬堀
本丸を守る硬堀

なぜ岩櫃城で「迷子」になるのか?

中城から本丸に至るまで、「高低差」「深い竪堀による分断」「視界を遮る曲折した堀切と土塁」が組み合わさっています。

現地に立つと、今自分がどの位置にいてどこから狙われているのか直感的に把握できなくなる感覚に陥ります。まさに「攻め手は迷子になり、多大な犠牲を払う」という言葉通りの、真田流縄張りの恐ろしさを体感できる核心部です。

山城巡りは体力と安全管理が第一です。現地を訪れる際は以下のポイントを押さえておきましょう。

初めての方は平沢登山口観光案内所から本丸まで向かいましょう。

項目詳細・アドバイス
平沢登山口観光案内所の所在地群馬県吾妻郡東吾妻町原町1965-2 開所(4月から11月)
アクセス(電車)JR吾妻線「群馬原町駅」から徒歩約45分 / タクシー約10分
アクセス(車)関越自動車道「渋川伊香保IC」から約50分(岩櫃城平沢登山口駐車場あり)
登城推奨時間09:00〜13:00頃(混雑する時間帯を狙うとクマ遭遇リスクが低減し安心)
装備履き慣れたトレッキングシューズ、長袖・長ズボン、熊鈴

潜龍院跡は平沢登山口観光案内所の近くにはありません。古谷登山口駐車場を利用ください。平沢登山口観光案内所から車で15分ほどかかります。

岩櫃山
密岩神社から撮影した岩櫃山

岩櫃山の荒々しい絶壁が真正面にそびえ立つ、最も有名なビュースポットに鎮座する密岩神社が近くにあります。

見学コース所要時間の目安コース内容・特徴
本丸往復(標準)約45分〜60分平沢登山口〜中城〜二の丸〜本丸跡の往復(一番人気の定番ルート)
遺構じっくり見学約90分〜120分本丸に加えて中城跡・竪堀・潜龍院跡(古谷館)などを細かく鑑賞
山頂ハイキング約150分〜180分本丸跡から岩櫃山山頂(鎖場あり)まで足伸ばす登山ルート

2度目の訪問にしてついに登城を果たした岩櫃城。2026年に巡った25城の中でも、間違いなく「絶対に攻めたくない城」ダントツの第1位でした。

岩櫃城の魅力を改めて振り返ると、以下の3点に集約されます。

攻め手を迷子にする恐怖の縄張り。330mにおよぶ中央竪堀、横矢掛けの罠、複雑な曲輪配置により、遠距離火力の標的とされる圧倒的絶望感。 

発掘調査が明かす「真田の執念」。本丸から見つかった鍛冶工房跡など、徹底した籠城戦を想定していた形跡。

史実と伝承で現代人を迷わせる歴史ロマン。武田勝頼の籠城説や古谷館の謎、そして「表裏比興の者」真田昌幸の筋の通った生き様。

「もし武田勝頼がこの岩櫃城に入り、昌幸とともに籠城していたら……」

昌幸の冷徹なまでの策謀と、この恐ろしい城郭構造を目の当たりにすると、武田家の未来すら変わっていたのではないかというロマンを抱かずにはいられません。主君をコロコロ変えながらも決心して背後からは襲わない――そんな昌幸のどこか憎めない立ち回りも、この不気味で魅力的な城に立つことでより一層深く理解できる気がします。

岩櫃城へ登城される際は、ぜひ大勢の登山客で賑わう午前中から正午前後(9:00〜13:00頃)を狙い、しっかりとした装備と熊対策を整えてお出かけください。

あなたもぜひ現地で、400年の時を超えて私たちを惑わし続ける「真田昌幸の術中」にはまってみてはいかがでしょうか。