岐阜城(ぎふじょう)は、岐阜県岐阜市、標高329mの金華山(きんかざん)山頂にそびえ立つ、まさに「天空の城」で、織田信長の天下布武の夢が始まった場所です。
戦国時代、この城は織田信長が天下統一への狼煙を上げた、極めて重要な拠点でした。信長は、永禄10年(1567年)にこの城を攻略し、当時の名称「稲葉山城」から「岐阜城」へと改名。そして、ここから「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始め、全国へ向けた革新的な政策を発信していきました。

信長が岐阜城(稲葉山城)を選んだ3つの戦略的理由
信長が、長年居城とした尾張(愛知県)を離れ、美濃(岐阜県)の山城である岐阜城を天下統一の拠点に選んだのには、明確な戦略がありました。
理由① 「美濃を制す者は天下を制す」:地理的な優位性
美濃国は、近畿地方と東国を結ぶ交通の要衝であり、「美濃を制すれば天下を制す」と言われるほど重要な戦略拠点でした。岐阜城が立つ金華山は、周囲を山と長良川に囲まれた天然の要害であり、難攻不落の山城として知られていました。この地を本拠地とすることで、西への上洛、東への進出、どちらにも素早く対応できる体制を整えることができました。
理由② 「岐阜」への改名と「天下布武」:権威の確立
信長は、この地を中国の故事にちなみ「岐阜」と名付け、新しい時代の始まりを内外に示しました。同時に、「天下布武」の印を用い、自らが「武力を持って天下を統一する」という強い意志を表明。単なる戦国大名から、天下統一を目指すリーダーへと格上げし、権威を確立するための政治的演出として、岐阜城は機能しました。
理由③ 「麓の城下町整備」と「革新的経済政策」
信長は、軍事的な山城(岐阜城)だけでなく、麓に「織田信長公居館跡」と称される壮麗な御殿を築きました。そして、城下町では商業を活性化させるための画期的な政策「楽市楽座」を施行。
宣教師ルイス・フロイスは、この城下町の賑わいを「バビロンの混雑」と表現したと伝えられています。岐阜城は、軍事・政治・経済の中心として、信長の天下統一を支えるエンジンとなったのです。
現代の岐阜城観光:信長も見たであろう「絶景」を楽しむ
現在の岐阜城は、関ヶ原の戦いの前哨戦で一度焼失しましたが、昭和29年(1954年)に再建された鉄筋コンクリート造りの天守です。歴史的背景を知って訪れることで、その魅力はさらに深まります。
金華山ロープウェーで空中散歩

岐阜城へのアクセスは、麓の岐阜公園(ぎふこうえん)から運行している金華山ロープウェーが便利です。約4分の空中散歩で、眼下に広がる自然を楽しみながら山頂へ。体力に自信がある方は、数ある登山道にチャレンジするのもおすすめです。
天守閣からの360度パノラマ絶景



ロープウェー山頂駅からさらに歩いて数分。いよいよ天守閣に到着です。最上階は展望台となっており、360度パノラマビューの絶景が眼下に広がります。
- 北側:雄大な長良川がゆったりと流れ、遠くに連なる山々を望めます。
- 南側:濃尾平野の広大な街並みが広がり、晴れた日には名古屋市内の高層ビル群まで見渡せます。
信長もこの景色を見下ろし、天下統一の構想を練っていたのか、と歴史のロマンを感じずにはいられません。
天守閣内部の充実した展示
天守閣内部は資料館となっており、織田信長や斎藤道三に関する貴重な資料、武具、そして城の歴史などが詳しく展示されています。信長の戦略や、当時の城の様子を学べば、景色がさらに立体的に見えてきます。
岐阜城周辺の必須スポット:歴史ロマンを深める
岐阜城観光と合わせて、ぜひ訪れたい信長ゆかりのスポットをご紹介します。
織田信長公居館跡(岐阜公園内)
ロープウェー乗り場のある岐阜公園内には、信長が政務や生活の場とした豪華な山麓御殿「織田信長公居館跡」があります。発掘調査によって、当時の規模や華やかさが明らかになりつつあり、巨大な岩を使った石垣など、信長の権威を示す遺構を見学できます。
岐阜市歴史博物館
岐阜公園に隣接しており、岐阜城から出土した資料や、信長時代の城下町の様子など、歴史的な展示が充実しています。岐阜城を訪れる前後に立ち寄れば、理解が格段に深まります。
長良川鵜飼(ながらがわうかい)
信長は、この地の伝統である長良川鵜飼を保護し、客人を招いて接待に用いるなど、「魅せるおもてなし」を実践したと伝えられています。夏の夜には、幻想的な鵜飼見物を楽しむことができます。
岐阜城へのアクセス・観光情報
| 項目 | 詳細情報 |
| 所在地 | 岐阜県岐阜市金華山天守閣18番地 |
| 電話番号 | 058-263-4853 |
| アクセス | JR/名鉄 岐阜駅よりバスで「岐阜公園・歴史博物館前」下車、金華山ロープウェー利用 |
| ロープウェー | 始発9:00~(季節により変動あり) |
| 天守閣観覧料 | 高校生以上 200円、小人 100円(ロープウェー料金は別途) |
| 見どころ | 絶景パノラマ、織田信長関連展示、金華山の自然 |
まとめ:岐阜城こそ、信長の天下統一戦略の「原点」
岐阜城は単なる山城ではなく、織田信長が天下統一の夢「天下布武」を掲げ、日本の歴史を動かし始めた戦略的拠点(原点)です。
信長がこの地を本拠地としたのは、その地理的な優位性(美濃を制す者は天下を制す)だけでなく、以下の革新的な戦略を実行するためでした。
1.政治的権威の確立: 「稲葉山城」から「岐阜城」へ改名し、「天下布武」の印を使用することで、自らを天下人として内外に宣言しました。
2.独創的な二重構造: 山城(軍事・生活)と山麓居館(政務・迎賓)という二つの役割を持つ構造を築き上げ、権威と実務を両立させました。
3.経済・文化の革新: 「楽市楽座」で城下町の商業を活性化させ、「長良川鵜飼」を最高のおもてなしに昇華させることで、岐阜を戦国時代の一大中心地へと変貌させました。
4.現代、金華山ロープウェーで登った先にある岐阜城天守閣からは、信長が見下ろしたであろう360度パノラマの絶景が広がります。
信長の夢と革新の足跡は、岐阜公園の織田信長公居館跡や、岐阜市歴史博物館にも深く残されています。歴史のロマンと圧倒的な絶景を同時に楽しめる岐阜城は、日本の戦国史ファンなら一度は訪れるべき「天空の城」です。
あなたもこの地で、信長の壮大な野望と時代の転換点を感じ取ってみませんか?


