軍神・上杉謙信が唯一大敗した城?千葉県佐倉市「臼井城」の歴史と見どころを徹底解説!

軍神・上杉謙信が唯一大敗した城?千葉県佐倉市「臼井城」の歴史と見どころを徹底解説! 城ガイド

「戦国最強の武将は誰か?」という問いに、必ず名が挙がる“軍神”上杉謙信。 生涯ほとんどの戦に勝利したとされる謙信ですが、実は千葉県に、彼が「生涯最大の敗北」を喫したと言われる城があるのをご存知でしょうか?

その名は、臼井城(うすいじょう)

現在は「臼井城址公園」として整備されているこの場所には、最強の軍勢を退けた「難攻不落」の秘密が今も息づいています。今回は、歴史ロマンあふれる臼井城の歴史と、訪れる際の見どころを詳しくご紹介します。

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臼井城の歴史:上杉謙信を退けた「下総の奇跡」

臼井城の名が歴史に深く刻まれたのは、永禄9年(1566年)のこと。当時、関東へ進出していた上杉謙信は、1万5千を超える圧倒的な軍勢で臼井城を包囲しました。

絶体絶命の危機を救った「知略」と「勇気」

対する臼井城側の兵力は、わずか2,000人程度。誰もが「落城は時間の問題」と考えましたが、ここで歴史が動きます。

  • 伝説の軍師・白井浄三の知略: あえて城門を開き、敵を城内へ誘い込んでから一気に逆襲する「心理戦」を展開したと伝えられています。
  • 「赤鬼」松田康郷の奮戦: 赤い甲冑に身を包んだ援軍・松田康郷が、鬼神のごとき勢いで上杉軍の本陣に切り込み、軍神・謙信を震え上がらせました。

結果、上杉軍は数千人の死傷者を出し、謙信は撤退を余儀なくされます。この敗北は謙信の権威を失墜させ、その後の関東の勢力図を大きく変えることとなりました。

関連書籍



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なぜ、上杉謙信は遠征してきたのか?

上杉謙信が越後(新潟県)から遥々千葉県(下総国)まで遠征してきたのには、単なる領土欲ではない「正義」と「戦略」に基づいた明確な理由がありました。

主に以下の3つの目的が絡み合っています。


「関東管領(かんとうかんれい)」としての義務

これが最大の表向きの理由です。 謙信は、室町幕府から任命された関東管領という、関東全体の治安維持と統治を任された公的な役職に就いていました。

  • 大義名分: 当時、小田原の北条氏が勢力を拡大し、古河公方(足利氏)などの伝統的な権威を脅かしていました。
  • 救援依頼: 北条氏に圧迫された関東の諸大名が、謙信に「助けてほしい」と次々に泣きつきました。謙信は「義」を重んじる性格だったため、役職上の責任感から、北条氏を討伐しに関東へ何度も遠征(越山)したのです。

北条氏の息の根を止めるための「背後」への打撃

謙信は何度も小田原城(神奈川県)を包囲しましたが、小田原城はあまりに堅固で落とせませんでした。

  • 戦略的迂回: そこで謙信は作戦を変え、北条氏の同盟勢力や重要な支城を一つずつ潰す戦略に出ました。
  • 千葉への進出: 下総(千葉県)の臼井城千葉氏は、北条氏と固く結ばれていました。ここを叩き潰すことで、北条氏を東側から孤立させ、経済的・軍事的な補給路を断とうとしたのです。

関東諸大名への「デモンストレーション」

関東の大名たちは非常に日和見(ひよりみ)で、強い方にすぐ寝返る傾向がありました。

  • 威信の誇示: 謙信としては、「自分は関東の隅々まで軍を動かせる力がある」ことを見せつける必要がありました。千葉まで進軍して勝利を重ねることで、「北条ではなく私(上杉)に従え」というメッセージを関東全域に発信したのです。

歴史の皮肉:臼井城が「終着点」に

謙信にとって、千葉(臼井城)への遠征は「北条氏を完全に追い詰めるための仕上げの総仕上げ」になるはずでした。

しかし、ここでまさかの大敗を喫したことで、「上杉は守ってくれない、北条の方が強い」という逆のメッセージを関東中に広めてしまう結果となりました。

この戦いをさらに深く知るための必読書

臼井城の戦いにおける謙信の敗北について、より詳しく、かつ最新の研究結果を知りたい方には、歴史家・乃至政彦(ないとう まさひこ)氏の著書『謙信越山』を強くおすすめします。

なぜ軍神・上杉謙信はこの小さな城を落とせなかったのか? そして、この一戦がいかにして日本の歴史を変えてしまったのか。 登城した後にこの本を読み返すと、私が駐車場で見上げたあの「切岸」や「土塁」に隠された、軍事的な意味がより鮮明に浮かび上がってきます。

歴史ファンなら、本棚に置いておくべき決定版の一冊です。


謙信越山

臼井城址公園の見どころ:中世城郭の「土の芸術」

石垣のない「土の城」である臼井城には、当時の防御の工夫がリアルに残っています。城郭マニアも唸る、注目ポイントは以下の3点です。

臼井城「土橋」の絶対見逃せないポイント

土橋から見た空堀と土塁
土橋から見た空堀と土塁

本丸と二の丸を繋ぐ「死の境界線」

土橋
土橋

駐車場から階段を上がってすぐ、本丸と二の丸の間に架かるのがこの橋です。

  • 見どころ: 現在はコンクリートで補強・舗装されていますが、その下には当時の土橋が保存されています。
  • 構造の妙: 本来、土橋の幅は非常に狭く作られていました。これは、大軍が一度に攻め込めないようにするため。数で勝る上杉軍を「一列」に限定し、渋滞したところを狙い撃ちにするためのトラップでした。

「空堀(からぼり)」の深さとのコントラスト

本丸を守る空堀
本丸を守る空堀

土橋の両脇を見下ろすと、そこには登城記でも触れられた深い空堀が広がっています。

  • 見どころ: 北側の空堀は特に幅が広く(約20メートル)、深さもあります。
  • 絶望感: 橋を渡る以外に道はなく、左右は絶壁。上杉兵にとって、この土橋は逃げ場のない一本道に見えたはずです。

「白井浄三」が仕掛けた心理戦の舞台

伝説の軍師・白井浄三が「城門を開け放った」というエピソードがありますが、まさにこの土橋の先の虎口(入り口)での出来事です。

  • 心理戦: 「どうぞお入りください」と言わんばかりに門を開け、油断して土橋を渡ってきた上杉軍に対し、土塁の上から一斉に攻撃を仕掛け、さらに逆襲の突撃を敢行しました。
  • 2025年の視点: 12月の静かな公園でこの橋の上に立つと、かつてここが「赤鬼」松田康郷が駆け抜け、上杉軍の死体で埋まった場所であるというギャップに戦慄します。

本丸東側・切岸(きりぎし)の見どころ

切岸の斜面
切岸の斜面

切岸とは、もともとの山の斜面をさらに削り、敵が登れないように急勾配にした「人工的な崖」のことです。

  • 見どころ: 本丸東側の斜面。自然の崖に見えますが、実は防御のために人の手で急角度に加工されています。 切岸のすぐ下が、かつては印旛沼の水際だったという点。

印旛沼を一望する「天然の要害」

印旛沼
印旛沼

城址の北側に立つと、目の前に広大な印旛沼が広がります。かつては沼が城のすぐ下まで迫っており、水面が天然の堀として機能していました。この絶景こそが、臼井城が

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「切岸、土塁、空堀……。専門用語を知ると、ただの崖が『最強の盾』に見えてきます。臼井城のすごさを120%理解するための必読書はこちら。」



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臼井城をより楽しむための観光ガイド

季節ごとの魅力

臼井城址公園は、春には桜の名所としても知られています。古城の遺構を彩る桜並木は非常に美しく、お花見と歴史散策を同時に楽しめます。また、印旛沼に沈む夕日は「ちば遺産100選」にも選ばれるほどの絶景です。

周辺スポットとの周遊

佐倉市は「城下町」として栄えた街。臼井城を訪れた後は、以下のスポットを巡るのがおすすめです。

  • 佐倉城址公園: 日本100名城の一つ。江戸時代の城郭遺構が見事です。
  • 武家屋敷: 関東最大級の武家屋敷群。当時の武士の暮らしを体感できます。

臼井城址公園へのアクセス

  • 住所: 千葉県佐倉市臼井字城之内
  • アクセス: 京成線「京成臼井駅」北口より徒歩約15分
  • 駐車場: あり(数台程度のため、公共交通機関の利用を推奨します)

2025年12月の臼井城址の登城記

2025年12月19日に登城してきました。臼井城址は住宅街にあります。平日の日中ということもあり人気がありませんでした。城址ですれ違ったのは二人だけでした。

二の丸址
二の丸址

現在の臼井城址は本丸と二の丸を残すだけで、訪問する方は堅固とは程遠く感じると思います。当時は城のすぐ下まで印旛沼が迫っており、三方を沼と崖に囲まれた峻険な地形でした。山城に近い構造でしたので上杉謙信が敗れてもおかしくないです。

駐車場から見た本丸址の土塁
駐車場から見た本丸址の土塁

駐車場から本丸址や二の丸址を見え上げるだけで、堅固な城だった感じることができるでしょう。

軍神と呼ばれた上杉謙信が敗れた城。籠城側には伝説の軍師と呼ばれた白井浄三。物語の素材としては非常に面白い。いつか映像化されるかもしれません。

臼井城の攻城戦の結果、敗北した上杉謙信は関東における求心力が大きく低下することになり北条氏は息を吹き返しました。

上杉謙信の関東支配の夢が実質的に潰え、この戦で北条家は滅亡を避けることができました。

臼井城は歴史を変えた場所かもしれません。

2025年12月の冷たい空気の中、一人で歩く城址公園。住宅街のすぐ隣に、かつて日本の歴史を大きく変えた分岐点が静かに横たわっている事事実に、あらためて城巡りの醍醐味を感じました。上杉謙信の夢を阻んだ崖の下に広がる景色は、今も変わらず当時の険しさを語りかけてくるようです。

まとめ:軍神が認めた「土の城」へ行こう

石垣がなくても、これほどまでに強い城があった――。 臼井城址公園は、派手な建物こそありませんが、地面の凹凸の一つひとつに戦国時代の知恵と勇気が詰まっています。

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