「石垣のない城なんて、つまらない?」
もしそう思っているなら、ぜひ千葉県にある国史跡 本佐倉城跡を訪れてみてください。
戦国時代、下総(しもうさ)の名門・千葉氏が約100年間を過ごしたこの山城は、巨大な空堀(からぼり)と土塁(どるい)という「土の力」だけで築かれた、関東屈指の難攻不落の要塞です。
この記事では、続日本100名城にも選ばれた本佐倉城跡の歴史的背景から、城巡りのハイライトである大迫力の「大堀切(おおほりきり)」まで、訪問に必要な情報を写真と共にご紹介します。
本佐倉城跡の基本情報とアクセス

本佐倉城跡は、千葉県佐倉市と印旛郡酒々井町にまたがる、土づくりの城(山城)です。京成電鉄の大佐倉駅から徒歩でアクセスできる手軽さも魅力です。
本佐倉城跡の基本情報
| 項目 | 詳細 |
| 城郭形式 | 平山城(山城) |
| 別名 | 本佐倉山城、酒々井城 |
| 指定 | 国指定史跡、続日本100名城(124番) |
| 築城年 | 文明年間(1469年~1486年) |
| 主な城主 | 千葉氏 |
| 所要時間 | 散策ルートで約70分~90分 |
主要な郭(エリア)の概要
| 郭名 | 散策マップのポイント | 旧称/別名 | 特徴と役割 |
|---|---|---|---|
| 城山 | ポイント6 城山通路 ポイント7 城山虎口 ポイント8 城山門跡 ポイント9 城山 | II郭 | 内郭群の最高所に位置し、城主の居館や重要な施設があったと推定される城の中心部です。奥ノ山(II郭)とは巨大な空堀で隔てられています。 |
| 奥ノ山 | ポイント10 奥ノ山 | II郭 | 城山(I郭)の次に大きな郭で、発掘調査により、ここにも重要な建物群が存在したと考えられています。 |
| 倉跡 | ポイント11 倉跡 ポイント19 倉跡-セッテイ空堀 | III郭 | 内郭群の最北に位置する郭です。「倉餘」の名の通り、米倉や雑穀倉といった倉庫群、あるいは兵の宿舎(番卒の屋敷)などが置かれていたと推定されています。 |
| IV郭 | ポイント4 IV郭虎口 | IV郭 | I・II・III郭群と、V・VI・VII郭群をつなぐ中間的なエリアです。大きな平坦地で、建物の存在や、人工的に土砂が移動された痕跡が見つかっています。 |
| 東山頂場 | ポイント2 東山虎口 ポイント3 ビューポイント | V郭 | 東山方面で最も高い場所にあり、土塁や空堀を備えた重要な施設があったと推定されています。 |
| 東光寺ビョウ | ポイント1 東山虎口と南奥虎口 ポイント20 南奥虎口 | VI郭 | 大規模な空堀によって内郭群から分離された広い郭です。古墳時代には大塚(大きな墓)として利用されていましたが、城郭としての利用は不明点が多いです。 |
| セッテイ | ポイント16 セッテイ空堀 ポイント17 セッテイ虎口 ポイント18 竹林の小径 | VII郭 | 内郭群の最南端の郭です。多くの陶磁器片が出土しており、比較的長い期間にわたって利用されたと考えられています。建物の痕跡も確認されていますが、「セッテイ」の名の由来は不明です。 |
| 東山馬場 | (郭外) | 東山方面のなだらかな斜面を利用した場所で、馬術の訓練や軍事教練などを行うための馬場であったと考えられています。 |
アクセス情報
| 項目 | 詳細 |
| 電車 | 京成電鉄 本線「大佐倉駅」より徒歩約10分 |
| 車 | 国史跡 本佐倉城跡案内所前に無料駐車場あり |
深掘り!本佐倉城跡の歴史:戦国千葉氏の巨大要塞

本佐倉城は、下総を長きにわたり支配した名門・千葉氏が最後に本拠とした居城として非常に重要です。
千葉氏の栄華と城の移転
千葉氏が鎌倉時代から本拠地としていた千葉城(千葉市)の荒廃を受け、文明年間(1470年代)に千葉輔胤(ちば すけたね)によって、この印旛沼に近い要害の地に築かれました。
以後、豊臣秀吉による小田原攻め(1590年)で千葉氏が滅亡するまでの約100年間、本佐倉城は下総の政治、経済、軍事の中心地として機能しました。
関東屈指の「土の城」
本佐倉城跡の最大の魅力は、その「土の遺構」の規模にあります。
この地域では良質な石材が少なかったため、敵の侵入を防ぐために、北総台地の複雑な地形を活かし、人の手で巨大な空堀(水のない堀)と土塁(土を盛った壁)が造られました。
当時の最新の防御技術が詰まったその姿は、まるで現代の土木工事を思わせるほどの迫力と規模で、「戦う城」としての機能美を感じさせます。
厳選!本佐倉城跡 見どころベスト5と散策ルート
大堀切(おおほりきり)

本佐倉城で最も写真映えし、迫力のあるスポットです。
城主の居館があった「城山」と、氏神を祀った「奥ノ山」という重要な郭(曲輪)と郭の間を、深く、鋭く掘り下げて分断しています。その深さや角度は、まさに鉄壁の防御であり、戦国時代の緊張感を伝えてくれます。
城山(しゅかく)

城の中心的な郭で、千葉氏の主殿(しゅでん)や儀式を行った会所(かいしょ)があった場所です。発掘調査では、礎石や庭園の跡も見つかっており、ここで政務が行われ、城下を治めていたことがわかります。

東山虎口(ひがしやまこぐち)

城の正面玄関の一つであり、土塁をコの字型に配置して通路を狭く折れ曲げた「枡形(ますがた)構造」の出入り口です。敵がまっすぐ城内に入れないよう工夫されており、当時の防御の工夫がよくわかります。

妙見宮跡(みょうけんぐうあと)

奥ノ山の一角にあり、千葉氏の守護神である北辰妙見(ほくしんみょうけん)を祀った場所です。武士の信仰の中心であり、精神的な拠点でした。

佐倉城は、この妙見宮を中心に設計されていたとも言われており、城全体の精神的な拠り所、そして守護神として機能していました。

現在は散策マップのポイント12に妙見神社があります。いつの頃か奥ノ山の妙見宮跡から移さました。
セッテイ空堀

城の西側を防御する巨大な空堀で、城内最大級の規模を誇ります。その底から見上げる土塁の高さは圧巻で、この城がどれほど堅固だったかを体感できます。

訪問のポイントと周辺情報
散策ルートのポイント
筆者は2025年12月6日に登城し、本佐倉城跡案内所や入り口付近に置かれている「散策マップ」に記載されている全てのポイントを巡りました。
散策マップは下記の公式サイトからもダウンロード出来ます。ファイル名は「国指定史跡本佐倉城跡散策マップ」です。
初めての方はどこから回ればよいのか迷うと思います。
本佐倉城跡案内所を起点とするならば、実際に全てを回るルートとしては、下記の順が最も効率的だと感じました。
【推奨ルート】
本佐倉城跡案内所→ポイント4(Ⅳ郭虎口)→ポイント5(大堀切)→ポイント6(城山通路)→ポイント7(城山虎口)→ポイント8(城山門跡)→ポイント9(城山)→ポイント10(奥ノ山)→ポイント11(倉跡)→ポイント12(妙見神社)→ポイント13(中池)→ポイント14(本佐倉跡鳥瞰図)→ポイント15(水の手)→ポイント16(セッテイ空堀)→ポイント17(セッテイ虎口)→ポイント18(竹林の古径)→ポイント19(倉跡-セッテイ空堀)→ポイント20(南奥虎口) →ポイント1(東山虎口と南奥虎口)→ポイント2(東山虎口)→ポイント3(ビューポイント)
(※補足:ポイント13(中池)からポイント14(本佐倉跡鳥瞰図)までは片道5分ほどかかります。)
これは筆者の推察ですが、京成線の大佐倉駅から徒歩で来る場合はポイント1(東山虎口と南奥虎口)が起点の目印になるため、散策マップがこのような配置になっているのかもしれません。
より効率的なルートや、各ポイントの詳しい解説については、現地のガイドさんに尋ねてみることをおすすめします。「ガイドさんが空いていれば一緒に回ってくれる」という親切な口コミも見かけましたので、ぜひ案内所を訪ねてみてください。
筆者も利用すれば良かったです。
見学の際の注意点

本佐倉城跡は自然そのままの山城です。
- 服装: 舗装されていない山道や、高低差のある場所が多いので、歩きやすい靴(スニーカーやトレッキングシューズ)の着用を強くおすすめします。
- 案内所: まずは城跡の入口にある「国史跡本佐倉城跡案内所」へ。無料のパンフレットや、復元された縄張り図(城の設計図)で予習しておくと、より楽しめます。
続日本100名城スタンプ&御城印
- 御城印: 案内所や酒々井町内の観光施設などで購入可能です。(訪問前に販売場所をご確認ください)
【実録】2025年12月 筆者の初登城記(不安と感動)
2025年12月6日に初めて登城しました。初めて訪問する場所というのはどのような場所であれ不安に襲われ緊張するものです。
9時30分頃に案内所近くの駐車場に到着したのですが、駐車していた車はわずか2台。人けの少なさに、正直なところ不安感が増幅しました。
しかし、岩櫃城跡や八王子城跡(特に御主殿跡から本丸へ向かう山道)と違って、怖さを感じることはありませんでした。 木々に囲まれていても視界が開けており、鉢形城跡のような明るい雰囲気を感じました。
マップは事前に用意していましたが、入り口付近にあった厚手のカラー散策マップも改めて手に入れました。
事前に「散策ルートのポイント」を考察しましたが、実際の筆者の初見学は効率とはほど遠い回り方になってしまいました。その反省から言えることは、やはり現地のガイドさんに声をかけ、回り方のアドバイスをいただくべきだったということです。
その代わり、各見どころを巡る中で、各見どころまで迷子にならずに初めての方を案内出来るレベルまで到達出来たと思います。筆者の「散策ルートのポイント」もぜひ参考にしてください。
今回の訪問で、本佐倉城最大の「売り」である「遺構が極めて良好な状態で残されていること」を肌で味わうことが出来ました。

特に「セッテイ空堀」は、深さと規模が圧巻でした。実際にその底に立つと、当時の防御力の高さと、人力でこれだけの土木工事を行った迫力を肌で感じることが出来たのです。

また、本佐倉城が機能していた当時は、現在よりもはるかに広大な印旛沼の水域が城のすぐ近くまで迫り、沼沢地帯となっていました。印旛沼は京成電鉄の線路の側まで広がっていたそうです。これが天然の巨大な堀となり、敵の侵入を困難にし、堅固な防御の一翼を担っていました。さらに、浜宿湊などを通じた水上交通の拠点でもありました。

これらを知ることで、本佐倉城がなぜこの場所に築かれたのか、その軍事的・経済的な理由がよく理解できました。
まとめ:なぜ本佐倉城は国指定史跡なのか

登城する前は「大したことがないのではないか」と思っておりましたが、実際に見学してみて国指定史跡に選ばれた理由がはっきりとわかりました。
関東屈指の「土の要塞」の遺構は嘘ではないと確信しました。これだけの価値ある遺構を無料で味わうことができるのは、歴史ファンにとって本当にありがたいことです。

