箕輪城とは?群馬を代表する国指定史跡の魅力
箕輪城(みのわじょう)は、現在の群馬県高崎市に位置する中世・近世の平山城(ひらやまじろ)跡です。その歴史的価値から国の指定史跡に認定され、全国の城郭ファンが目指す日本百名城の一つにも数えられています。
築城は16世紀初頭、当地の有力武将であった長野氏によって行われました。特に三代目城主である長野業正(ながのなりまさ)の時代には、甲斐の虎・武田信玄の度重なる猛攻を退けた「難攻不落の城」として、その名を関東一円に轟かせました。
長野氏滅亡後、城は武田氏、織田氏、北条氏へと支配者が目まぐるしく変わりますが、最終的に徳川四天王の一人である井伊直政(いいなおまさ)が入城し、大規模な改修を行いました。現在の箕輪城跡に残る遺構の多くは、この井伊直政時代に近代城郭として整備された姿を伝えています。わずか100年ほどの短命な城ではありましたが、戦国時代における東国支配の重要拠点であった歴史的重みが、今もこの地には息づいています。
【必見】箕輪城の歴史を体感する8つの見どころ
箕輪城跡の最大の魅力は、天守閣などの建物こそ残されていませんが、戦国時代のスケールを今に伝える土の防御施設(土塁・堀切)が良好な状態で保存されている点にあります。
見どころ①:圧巻の復元!(かくうまだしにしこぐちもん)

2016年に復元された郭馬出西虎口門は、箕輪城の新たなシンボルです。発掘調査に基づき、井伊直政時代の櫓門(やぐらもん)として再現されました。その規模は、当時の関東地方の復元城門としては最大級であり、土塁の上に堂々とそびえる姿は迫力満点です。箕輪城の防御の要であったこの門の威容を間近で体感してください。
見どころ②:城を南北に分断する巨大な防御線・大堀切

箕輪城跡を南北に分断するように横たわる大堀切は、この城跡のスケールを最も象徴する遺構です。幅約30~40メートル、深さ約10メートルにも及ぶ巨大な空堀は、城内での移動を困難にし、敵の侵入を防ぐ役割を果たしました。堀底に降りて散策することも可能であり、「土の城」が持つ雄大な防御力を体で感じることができます。
箕輪城の大堀切は天然物?

箕輪城の大堀切(おおほりきり)は、天然の地形を巧みに利用しつつ、人工的に掘り広げたものです。
つまり、完全な天然物ではありませんが、元々の地形(谷や尾根のくぼみ)を最大限に活用しています。
あの巨大な堀は、自然の地形をベースとしながらも、戦国時代の高度な土木技術によって完成された、人工の防御施設であると言えます。そのスケール(幅30~40m、深さ約10m)は、人工と天然の力を融合させた結果と言えるでしょう。
見どころ③:最先端の石垣技術が光る三ノ丸石垣

主に土塁で構成されている箕輪城において、ひときわ目を引くのが三ノ丸石垣です。最高で約4.1メートルの高さを誇り、上層と下層で異なる石材を使うなど、築城当時としては最先端の技術が用いられていました。これは、井伊直政が近世城郭への改修を進める中で導入した、新しい防御思想を示す貴重な遺構です。
見どころ④:長野氏の悲劇が伝わる御前曲輪(ごぜんぐるわ)

本丸の北側に位置する御前曲輪は、長野氏最後の城主・長野業盛(ながのなりもり)が武田信玄との戦いに敗れた際、一族や家臣とともに自刃した場所と伝えられています。曲輪内には長野氏代々の石塔が発見された井戸跡や、将士の慰霊碑が建っており、難攻不落の城の悲しい終焉の歴史を静かに伝えています。

見どころ⑤:家臣団の屋敷地としていた木俣曲輪

尾根のへりに位置しているため、城の東側や南側の城下を見渡すことができ、見張り台としての機能も兼ねていた立地です。

雑草が多くて前に進めなかったけど、見晴らしが良い場所だと感じた。
見どころ⑥:鍛冶曲輪(かじぐるわ)

「鍛冶」の名が示す通り、この曲輪は城の維持に欠かせない鍛冶職人(武器や工具を修理・製作する職人)の作業場や居住地として使われていたと考えられています。
武器製造などは火を使う危険な作業であり、また、城の最高機密を守る本丸・二ノ丸から少し離れた場所に配置されていました。
規模はそれほど大きくありませんが、職人たちが生活・作業をしていた空間を想像しながら散策すると、当時の城の生活のリアリティを感じることができます。
鍛冶曲輪自体も堀切や土塁でしっかりと守られており、城の機能の重要性を示しています。
見どころ⑦:本丸の独立性の高い曲輪

箕輪城の本丸は、城の最高所に位置していますが、非常に独立性が高い構造を持っています。
- 地形の利用: 尾根の先端部分の比較的平坦な場所を最大限に利用しています。
- 防御構造: 四方すべてを高い土塁(どるい)で囲まれており、特に北側と東側は深い堀切(ほりきり)によって完全に他の曲輪から切り離されています。

見どころ⑧:本丸・蔵屋敷間木橋

この木橋は、箕輪城の主要な防御区画である本丸と、その南西側に位置する蔵屋敷(くらやしき)曲輪を結んでいた重要な通路でした。

令和7年1月から令和8年3月は整備工事中のため、橋を渡ることは出来ないぞ。
本丸・蔵屋敷間木橋の特徴と見どころ
- 深い堀切の上の通路
- 本丸の南西側には、深く鋭い堀切(ほりきり)が存在しており、これによって本丸と蔵屋敷曲輪は物理的に分断されていました。
- この堀切の最も狭い部分に、木製の橋が架けられていたと考えられています。
- 防御上の工夫
- 木橋の最大の特徴は、有事の際に容易に破壊できることです。敵が本丸に迫った際、この橋を落とすことで、蔵屋敷側からの本丸への侵入を阻止する重要な防御手段となっていました。
- 蔵屋敷の役割
- 蔵屋敷曲輪は、名前の通り、米や塩、武具などの物資を保管する蔵が建ち並んでいた曲輪です。
- 本丸と蔵屋敷を繋ぐこの木橋は、平時の物資の搬入・搬出に不可欠な生活通路でもありました。
箕輪城のインフォメーションと所要時間
馬県高崎市にある国指定史跡「箕輪城跡」の所要時間とインフォメーションをご案内します。
箕輪城は広大な敷地と複雑な構造を持つため、見学ルートによって所要時間が異なります。
所在地
| 項目 | 詳細 |
| 名称 | 箕輪城跡(みのわじょうあと) |
| 所在地 | 〒370-3106 群馬県高崎市箕郷町東明屋 |
| 電話番号 | 高崎市 文化財保護課: 027-321-1292 |
| 開園時間 | 24時間営業(史跡のため、終日見学可能です) |
| 料金 | 無料 |
| 駐車場 | 箕輪城跡駐車場あり(無料)。搦手(からめて)口側に整備されており、ここが登城の起点となることが多いです。 |
見学の所要時間
箕輪城跡は広大で、主要な曲輪や堀切をすべて巡るには時間がかかります。
| 見学ルート | 想定される所要時間 | ルートの内容 |
| 標準ルート | 約 1.5時間 ~ 2時間 | 郭馬出西虎口門(復元門)、大堀切、本丸、蔵屋敷、御前曲輪など、主要な見どころを巡る場合の目安です。 |
| じっくり散策 | 2.5時間以上 | 城跡全体(木俣曲輪、稲荷曲輪、鍛冶曲輪なども含む)を巡り、歴史解説板を読みながら、遺構を細かく観察する場合。 |
| 主要スポットのみ | 約 1時間 | 復元された郭馬出西虎口門と大堀切、本丸付近など、一部の主要スポットに絞って巡る場合。 |
箕輪城へのアクセス情報
箕輪城は整備された史跡公園となっており、訪れやすい環境が整っています。
車でお越しの場合
- 関越自動車道 高崎IC または 前橋IC から、それぞれ約30分。
- 無料駐車場が整備されており、大型バスも駐車可能です。
公共交通機関でお越しの場合
- JR高崎駅西口から群馬バス(伊香保温泉行きなど)に乗車し、「城山入口」バス停で下車。徒歩約5分で入口に到着します。
【散策アドバイス】 城内はアップダウンがあり広大です。全ての見どころを巡るには1時間半~2時間を確保し、歩きやすい服装と靴で訪問することをおすすめします。
箕輪城跡の登城記
箕輪城は長野業政の時代には幾度となく武田信玄の攻撃を防いだ難攻不落の城として有名です。武田信玄ファンの自分としては一度は訪れてみたかった城です。
2025年11月16日に訪ねてみました。
箕輪城は一言で述べると攻城戦を体験できる場所でした。
天守などの建物がないからこそ、土塁、堀切、そして高低差という防御側の「構造物」が主役となり、訪問者は自然と攻め手または守り手の視点に立たされます。
攻め手側の気持ちを味わうために、実際に空堀を歩いてみましたが、高低差に絶望を感じました。
攻め手側の絶望を味わうことで、幾度となくこの城を守り切った長野業政という武将の凄さを改めて感じました。
箕輪城には城の防御力を高めるために、本丸など主要区域と、それ以外の周辺区域を隔てるために、城を南北に二分する巨大な空堀、大堀切が存在しています。この大堀切が見事でした。天然の地形を巧みに利用しつつ、人工的に掘り広げた当時の土木技術の高さに感銘を受けました。
深い堀や土塁などの遺構が良好な状態で残されており、快適に見学できるように整備されていると思います。地元の方たちにとても大切にされているお城だと思いました。
郭馬出西虎口門や木橋も復元されました。
今回は搦手口に近い駐車場に車を停め登城の起点としました。駐車場にあるトイレを利用しましたが綺麗だと思いました。
地元の人たちが入り口付近に露店を出していました。3つ露店がありました。その中の一つは地元のみかんを売っているお店でした。
箕輪城跡のことを色々と調べてみると「箕輪城まつり」というものが毎年開催されているみたいです。いつか見学してみたいですね。


