【徹底ガイド】おひとり様が集中して巡る浜松城!出世城で見どころを深堀り

城ガイド

「出世城」として名高い浜松城(静岡県浜松市)。この地は、後の天下人・徳川家康公が29歳から45歳までの青壮年期を過ごし、激動の戦国時代を生き抜くための土台を築いた場所です。

初めてのおひとり様旅行であれば、浜松城の持つ歴史の深さと、周囲の静かな環境は、自分自身と深く向き合い、内省の時間を持つために理想的です。誰にも邪魔されず、家康公が苦難を乗り越えた歴史的ロマンに浸り、明日への活力を得てみませんか。

この記事では、初めて浜松城を訪れるおひとり様のために、見どころと心穏やかに過ごせる静かな満喫ルートを解説します

浜松城の歴史的意義:「逆境を乗り越える基盤」を築いた城

「三方ヶ原の戦い」について

浜松城の歴史を語る上で最も重要なエピソードの一つ、「三方ヶ原の戦い」について、詳細かつ分かりやすく解説します。この戦いは、若き日の徳川家康にとって生涯最大の敗北であり、後の天下人としての精神的な基盤を形成した重要な戦いです。

三方ヶ原の戦い:概要

項目詳細
時期元亀3年12月22日(1573年1月25日)
場所遠江国 敷知郡 三方ヶ原(現在の静岡県浜松市中央区三方原町付近の台地)
対戦相手武田信玄(武田軍) VS 徳川家康・織田信長連合軍
兵力差武田軍:約20,000〜27,000
徳川・織田連合軍:約8,000〜11,000(圧倒的な劣勢)
結果徳川軍の惨敗

開戦に至るまでの背景

武田信玄の「西上作戦」

元亀3年(1572年)、当時の戦国最強と謳われた武田信玄は、京都へ向かう「西上作戦」を決行します。これは、室町幕府の将軍・足利義昭の呼びかけに応じ、織田信長を討つための大遠征でした。その進路にあったのが、信長と同盟を結ぶ徳川家康の領国でした。

徳川方の拠点の陥落

武田軍は甲斐(山梨)を出発後、兵力を二手に分け、遠江(静岡西部)と三河(愛知東部)への同時侵攻を開始します。

  • 徳川方は、二俣城(天竜川沿いの要衝)など主要な支城を次々と攻略され、浜松城周辺の領地は大きく削られました。

浜松城の素通りと挑発

武田信玄の本隊は、浜松城の北方約12kmに広がる三方ヶ原台地に進軍しますが、堅固な浜松城を攻め落とすための長期戦を避け、そのまま城を素通りして西へ進路を変えようとしました。

これは、家康にとって「取るに足らない敵」として無視された形であり、武士のプライドを強く刺激する挑発でした。

家康の決断と戦闘の展開

重臣たちの反対を押し切った出陣

浜松城に籠城すれば城は守り切れましたが、家康は「敵に領国を踏み越えられては武士の面目が立たない」として、多くの重臣が反対するのを押し切って出陣を決意します。

  • 兵力の差: 武田軍は2万人以上。対する徳川軍は織田からの援軍を合わせても最大1万1000程度。勝利の可能性は極めて低い状況でした。

鶴翼の陣と魚鱗の陣の激突

三方ヶ原台地で両軍は激突します。

  • 武田軍: 信玄は、攻撃力に優れる「魚鱗の陣」で徳川軍を圧倒。
  • 徳川軍: 家康は、中央を固める「鶴翼の陣」で対抗しますが、武田軍の猛攻により、中央が突き崩されてしまいます。

徳川軍の惨敗と忠臣の討ち死に

兵力と練度で勝る武田軍の猛攻の前に、徳川軍は総崩れとなり、多くの忠臣を失いました。

  • 影武者・夏目広次: 家康を逃がすため、自ら家康の甲冑を身に着け、身代わりとなって武田軍の中に突撃し討ち死にしました。
  • 本多忠真: 徳川四天王の一人、本多忠勝の叔父。殿(しんがり:撤退戦の最後尾)を務めて戦死しました。
  • 平手汎秀: 織田信長からの援軍の将。この戦いで戦死しています。

家康の逃走と「空城の計」

命からがらの帰城

家康は、決死の殿戦のおかげで、わずか数名の供を連れて浜松城に逃げ帰ることができました。この逃走の途中、恐怖のあまり馬上で失禁したという有名な逸話も残っています。

「空城の計」による逆転

追撃してきた武田軍に対して、家康は「空城の計」という奇策に出ます。

  • 策の内容: 城門をすべて開け放ち、城内にはわずかな篝火を灯すのみとする。
  • 効果: 信玄は、兵力が圧倒的に少ない城門が開いている状況を「伏兵がいるのではないか」と警戒し、夜間の強襲を避けました。

その後、家康は犀ヶ崖(さいががけ)付近で夜襲を仕掛け、武田軍は多くの兵を失い、武田軍の追撃は止まりました。

この「空城の計」によって浜松城は守り抜かれ、家康は窮地を脱しました。この大敗北と、そこからの生還の経験こそが、後の家康の慎重かつ大胆な戦略と、忍耐強い精神を形成する大きな土台となったのです。

歴代城主が出世した「出世城」の由縁

家康公を筆頭に、浜松城の歴代城主(譜代大名)の多くが、後に江戸幕府の老中や京都所司代といった要職に昇進しています。この歴史的な事実は、浜松城がただの軍事拠点ではなく、人材育成と自己成長の重要な舞台であったことを示しています。

浜松城主から「出世」した主な人物たち(江戸時代)

江戸時代、浜松城主の石高は比較的小さな藩(約5万石前後)でしたが、譜代大名の中でも徳川家康にゆかりの深い家系が多く、幕府の政策に関わる重要な役職に就く者が続出しました。

氏名在城期間最終的な幕府の主要役職備考
松平 乗寿1638年〜1644年老中徳川家綱(第4代将軍)付きの老中となり、家綱の将軍就任後も老中として政務を主導しました。
太田 資次1671年〜1678年大坂城代、寺社奉行父・資宗の後を継ぎ、寺社奉行を経て、幕府の重要拠点である大坂城代に任じられました。
松平 信祝1729年〜1744年老中享保の改革期に老中を務め、幕政の中枢を担いました。
井上 正経1758年〜1766年老中、寺社奉行老中として幕政に深く関与した人物です。
水野 忠邦1817年〜1845年老中首座(天保の改革)、京都所司代、大坂城代出世城」を最も象徴する人物。天保の改革を主導したことで知られ、自ら願い出て出世のため浜松城主になったと伝えられています。老中、大坂城代、京都所司代の全てを経験しました。
井上 正直1847年〜1868年老中幕末の激動期に老中を務めました。

浜松城主の出世実績(通算)

徳川家康が去った後、幕末までの約260年間に、浜松城には25代の城主が在城しました。そのうち、幕府の重要役職に登用された人数は以下の通りです。

幕府の要職人数
老中5人
大坂城代2人
京都所司代2人
寺社奉行4人
奏者番複数

おひとり様のための浜松城「4大見どころ」

400年の時を超えた「野面積み(のづらづみ)石垣

浜松城の最も力強い見どころは、石垣です。自然石をそのまま積み上げた野面積みという工法が用いられており、築城当時の力強い造形を今に伝えています。

  • おひとり様ポイント: この無骨で荒々しい石垣の前に立ち、誰にも邪魔されずじっくりと眺めることで、家康公が礎を築いた時代の歴史の深さを感じ取ることができます。その堅牢な姿は、自己成長の土台を築くことの大切さを教えてくれるようです。

街と歴史を一望!「天守閣展望台」

浜松城を語る上で欠かせないのが、天守台の石垣です。自然石をそのまま積み上げた野面積みという古い工法が特徴で、400年以上前の築城当時のままの姿を残しています。

  • おひとり様ポイント: 周囲の喧騒から離れ、この荒々しく力強い石垣を間近で見上げてください。無骨で堅固な石垣は、家康公が困難を乗り越えた精神を象徴しており、まさに出世パワーの源です。

天守閣内部は資料館となっており、家康公の生涯と浜松の歴史に関する展示があります。

  • 展望: 最上階の展望台からは、北の三方ヶ原古戦場方面から市街、遠州灘まで、広範囲を一望できます。ここで家康公が遠州を治め、天下を展望した視座を追体験してみてください。
  • 展示: 1階の等身大の家康公像や地下室の井戸など、当時の生活の痕跡も、歴史ロマンを深める貴重な見どころです。

喧騒を忘れる静寂の空間「日本庭園」

城の周囲に広がる浜松城公園内には、美しい日本庭園があります。池泉回遊式の庭園は、深山渓谷をイメージして造られ、静寂に包まれています。

  • 癒やし: おひとり様でゆっくりと散策し、緑や水音に耳を傾けることで、旅の疲れだけでなく、日頃のストレスも和らぎます。ここは、内省と休息のための特別な空間です。

若き日の家康公に触れる「銅像」

丸跡に近い石段の先には、壮年期の家康公の銅像が立っています。

  • 見どころ: 覇気に満ちたその姿は、後の大成功を予感させるものです。静かに像の前で立ち止まり、歴史上の偉人がどのような決意を持ってこの地を治めたのか、思いを巡らせてみましょう。

初めてのおひとり様向け】心穏やかな満喫ルート(所要時間:約2時間)

アクセス: JR浜松駅から徒歩(約20分)で向かうのがおすすめです。心構えをしながら、ひとり様のペースでゆっくりと城へアプローチしましょう。

天守閣周辺: 石垣や天守門をじっくり観察後、天守閣の展示と展望を楽しみます。(約60分)

公園・庭園: 日本庭園で休憩と散策を楽しみ、心身をリフレッシュします。園内の茶室「松韻亭」でお抹茶をいただくのも、おひとり様ならではの優雅な過ごし方です。(約60分)

グルメ: 観光後は、カウンター席の多い浜松餃子店やうなぎ店で、旅の充実感を味わいましょう。

浜松城 基本情報

項目詳細
住所〒430-0946 静岡県浜松市中央区元城町100-2
電話番号053-453-3872(浜松城 天守閣)
定休日12月29日〜12月31日
滞在目安30分〜60分(天守閣のみの場合)

浜松城公園 駐車場情報

浜松城を訪問される際の駐車場情報についてご案内します。

浜松城へのアクセスには、城の敷地内にある浜松城公園駐車場の利用が便利です。

【注意点】駐車場情報は2025年10月時点のものです。

項目詳細
名称浜松城公園 駐車場
住所〒430-0946 静岡県浜松市中央区元城町100−2
利用時間8:00~21:30
収容台数普通自動車:約220台

駐車料金と割引制度

浜松城公園駐車場は、以下の料金体系となっています。

  1. 基本料金(普通車)
    • 最初の90分まで無料
    • 90分を超過した分は、30分ごとに100円加算
  2. 土日祝日の上限料金
    • 土日祝日は、当日限り上限520円が適用されます。
  3. 施設利用による割引
    • 以下の有料施設をご利用の場合、さらに60分間無料が加算されます。
      • 浜松城天守閣/天守門
      • 浜松市茶室
      • 浜松市美術館
      • スターバックスコーヒー浜松城公園店

【注意点】 割引を受けるためには、各施設で駐車券の認証が必要です。必ず駐車券をご持参ください。