【国宝】彦根城の歴史を深掘り!築城から明治維新、そして現在に受け継がれる「金亀城」の魅力

城ガイド

滋賀県彦根市にそびえ立つ彦根城は、姫路城、松本城などと共に、日本にわずか5つしか現存しない国宝天守を持つ名城です。その美しい姿から「金亀城(こんきじょう)」の別名を持ち、琵琶湖のほとりで約400年にわたり歴史を見つめてきました。

単に美しいだけでなく、徳川家康の重臣である井伊家の居城として、江戸幕府の体制を支える上で極めて重要な役割を果たしました。本記事では、この偉大な城の歴史を深掘りし、その魅力を余すところなくご紹介します。

築城の背景:「関ヶ原の戦い」後の戦略拠点

彦根城の歴史は、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに深く根ざしています。

徳川四天王・井伊直政と佐和山城

関ヶ原の戦いで徳川家康の勝利に大きく貢献した武将の一人が、井伊直政です。直政はその功績により、近江国(現在の滋賀県)北東部の18万石を領し、西軍の将・石田三成の居城であった佐和山城に入城します。

しかし、直政は佐和山城を「中世的な古い山城」であることや、「石田三成の居城であったこと」を嫌い、新しい城を築くことを計画します。この背景には、戦後の西国大名への備えとして、戦略的に重要な琵琶湖岸に面した地に拠点を移すという、徳川家康の強い意向がありました。

雪の天守閣

彦根城の築城開始

直政は築城地として現在の彦根山を選定しますが、関ヶ原の戦いで負った鉄砲傷がもとで、1602年(慶長7年)に亡くなってしまいます。

直政の遺志を継いだのは、跡を継いだ井伊直継(直孝)と家老たちでした。そして、徳川家康の命により、1604年(慶長9年)に彦根城の築城が開始されます。

「リサイクルの城」としての特徴

彦根城の築城は、当時の幕府にとって非常に重要であったため、早急な完成が求められました。このため、周辺の古い城郭から石垣や建材を移築するという、珍しい方法がとられました。

近隣の城の遺産が集結

彦根城の資材となった城は、主に以下の通りです。

  • 天守: 現在の天守は、廃城となった大津城から移築されたものと推測されています。
  • 櫓(やぐら):
    • 天秤櫓(てんびんやぐら):長浜城から移築されたと伝わっています。
    • 太鼓門櫓:移築元は不明ですが、他の城の門を再利用したことが分かっています。

雪の天秤櫓

このように、彦根城は複数の城の部材を再利用して建設された、いわば「リサイクルの城」であり、これは天下普請(てんかぶしん/幕府主導の公共事業)の一環として、当時の最新技術と資材調達の知恵が結集した結果と言えます。

築城開始から約20年後の1622年(元和8年)、城下町を含めた大城郭としての彦根城が完成します。


江戸時代:井伊家の政治的拠点

彦根城は、その後約260年にわたり井伊家14代の居城として機能します。

井伊直孝の活躍

2代藩主である井伊直孝は、大坂冬の陣・夏の陣で功績を上げ、徳川秀忠から徳川家綱に至るまで、江戸幕府の政務に深く関わりました。井伊家は譜代大名としては異例の30万石(後に幕府領を合わせて35万石)という大大名となり、幕政を支える筆頭譜代大名としての地位を確立しました。この地位こそが、彦根城の政治的重要性を示すものです。

幕末の大老・井伊直弼

井伊家の中で最も有名な人物の一人が、幕末の動乱期に活躍した第13代藩主井伊直弼(いい なおすけ)でしょう。

藩主となる前の青春時代を、彦根城下の「埋木舎(うもれぎのや)」で過ごしました。直弼は大老として、開国を迫る外国に対し日米修好通商条約の締結を断行するなど、激動の幕末政治の舵取りを担います。しかし、その強硬な政策は反発を招き、1860年(安政7年)に江戸城桜田門外で暗殺されるという悲劇的な最期を遂げました(桜田門外の変)。

彦根城は、この直弼の波乱に満ちた生涯の舞台の一つでもあったのです。

危機を乗り越えた「奇跡の城」

明治時代に入ると、1871年(明治4年)に廃藩置県、1873年(明治6年)には廃城令が発布され、全国の多くの城が解体の危機に直面します。彦根城もその例外ではありませんでした。

しかし、1878年(明治11年)、明治天皇が彦根を巡幸された際、その美しさに感銘を受け、保存を勅命されたという説が有力です(この時、大隈重信が保存を進言したという説もあります)。この「奇跡の勅命」により、彦根城は解体を免れ、天守や櫓などの主要な建物が現在まで残されることになりました。

現在、彦根城の天守は国宝、城跡全体は特別史跡に指定されており、その歴史的価値は計り知れません。

彦根城の見どころ:歴史を感じるスポット

彦根城は、現存する数少ない国宝天守をはじめ、多くの見どころがあります。

  1. 国宝天守:
    • 小規模ながら、切妻破風、入母屋破風、唐破風など多彩な破風を組み合わせた「複合式望楼型」の美しい姿が特徴です。
    • 構造的には古式の様式が残されており、軍事的な機能と政治的象徴としての美しさを兼ね備えています。
  2. 天秤櫓(てんびんやぐら):
    • 廊下橋を挟んで左右対称に櫓が配置された、全国でも珍しい「二階建ての櫓門」です。その名の通り、天秤のような形をしています。
  3. 西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら):
    • 現存する櫓の中でも最大規模で、鉄砲や矢を放つための「狭間(さま)」が多く設けられており、城の守りの堅さを感じられます。
  4. 階段の数は天守までの道のり(表門~国宝天守が約140段、天守内部(各層の階段):約40段です。
  5. 現存する櫓の中でも最大規模で、鉄砲や矢を放つための「狭間(さま)」が多く設けられており、城の守りの堅さを感じられます。
  6. 玄宮園(げんきゅうえん):
    • 彦根城北東に位置する大名庭園で、中国・唐の離宮を模して造られました。池泉回遊式で、特に秋の紅葉シーズンには、天守を背景にした絶景が楽しめます。

天守までの階段

終わりに:未来へ受け継がれる「金亀城」

彦根城は、徳川家康の覇権確立という歴史的使命を負って築かれ、井伊家という名門の居城として江戸時代を駆け抜けました。廃城の危機を乗り越え、現在もその壮麗な姿を留めているのは、まさに「奇跡」と言えるでしょう。

彦根城の歴史を知ることで、天守閣や櫓、石垣の一つ一つが持つ意味が深く理解できます。ぜひ一度、この国宝の城を訪れ、井伊家の栄光と幕末のドラマに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

彦根城 アクセス情報

スポット名彦根城
住所〒522-0061 滋賀県彦根市金亀町1−1
営業時間8時30分~17時00分(年中無休)
電話番号0749-22-2742
所用時間1時間〜1時間半


鉄道でのアクセス

彦根城の最寄り駅は JR琵琶湖線(東海道本線)の彦根駅 です。

出発地ルート例所要時間(目安)
京都JR琵琶湖線(新快速)約50分
大阪JR琵琶湖線(新快速)約80分
名古屋JR東海道新幹線 → 米原駅でJR琵琶湖線に乗り換え約60分

彦根駅からのアクセス

彦根駅から彦根城までは、以下の方法でアクセスできます。

  1. 徒歩
    • 彦根駅の西口から出て、お城に向かってまっすぐ歩くと、約15分で城の入口である大手門付近に到着します。
  2. バス
    • 彦根駅から「彦根ご城下巡回バス」などの路線バスを利用できます。(所要時間:約5分)

車でのアクセス

車で訪問する場合、最寄りのインターチェンジは以下の通りです。

インターチェンジ道路彦根城までの所要時間(目安)
彦根IC名神高速道路約10~15分

駐車場について

彦根城周辺には、市営または民間の駐車場があります。

  • 大手門駐車場 や いろは松駐車場 など、城に比較的近い場所にも駐車場がありますが、観光シーズンや週末は混雑が予想されます。
  • 最新の駐車場の空き状況や料金については、現地の看板や彦根市の観光情報をご確認ください。

周辺の主要スポット

彦根城の敷地内には、歴史的な建物や庭園が点在しています。

  • 彦根城博物館 :彦根藩主井伊家伝来の甲冑や美術品を展示。
  • 玄宮園 :城の北東に位置する美しい大名庭園。天守を借景にした景観が楽しめます。