長野県下伊那郡松川町にある大島城(おおしまじょう)をご存じでしょうか?
現在は「台城公園(だいじょうこうえん)」として整備されているこの場所は、城郭ファンや歴史好きの間で「武田流築城術の宝庫」として知られる隠れた名城です。

この記事では、現地を訪れた際のフォトレポートを交えながら、大島城の見どころ・歴史的背景・アクセス方法・見学の所要時間まで詳しく解説します!
大島城(台城公園)とは?1分でわかる基本情報
まずは大島城の概要を一覧表でチェックしましょう。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 城郭名称 | 大島城(別名:台城) |
| 所在地 | 長野県下伊那郡松川町元大島 |
| 主な遺構 | 二重三日月堀、丸馬出、大空堀、土塁、曲輪 |
| 築城者 / 改修者 | 大島氏 / 武田信玄・秋山虎繁(信友) |
| 見学料金 | 無料(自由散策) |
| 駐車場 | あり(台城公園駐車場・無料) |
大島城は天竜川沿いの断崖絶壁(河岸段丘)を利用して築かれた連郭式の平山城です。武田氏の甲州流築城術が極めて良好な状態で残っており、現在も土塁や堀の立体的な造形を肌で感じることができます。
大島城の歴史|武田信玄が認めた伊那谷の戦略的拠点
大島氏による築城(鎌倉時代〜)
もともとはこの地域の豪族であった大島氏が、天竜川を眼下に見下ろす要害の地に館を構えたのが始まりとされています。
武田信玄による大改修と秋山虎繁(1571年〜)
天文23年(1554年)、信濃侵攻を進める武田信玄によって大島城は奪取されます。 その後、元亀2年(1571年)に信玄の命を受けた重臣・秋山虎繁(信友)の手によって大規模な改修が行われました。織田・徳川勢に対する兵站拠点および防衛の要として、最新鋭の「武田流城郭」へと生まれ変わったのです。
織田軍の侵攻とあっけない落城(1582年)
天正10年(1582年)、織田信忠率いる甲州征伐の軍勢が伊那谷へ侵攻。信玄の弟、武田逍遥軒信綱(信廉)と城代日向玄徳斎、小原丹後守継忠、安中七郎三郎(左近大夫)、依田能登守以下700余人が守備していましたが、織田軍の圧倒的な兵力を前に戦うことなく城を捨てて脱出しました。大島城は火を放たれ、武田氏の歴史とともにその役目を終えました。
【現地レポ】大島城の見どころと見学ルート
駐車場に車を止めて一歩踏み入れると、一見穏やかな公園ですが、足元には驚くべき土木工事の痕跡が広がっています。

全国的にも激レア!「二重三日月堀」と「丸馬出」

駐車場を出てすぐの場所にあるのが、大島城最大のハイライトである丸馬出(まるうまだし)と二重三日月堀(にじゅうみかづきぼり)です。

馬出とは、城の出入口(虎口)の前に作られた半円形の空間のことで、味方の出撃や敵の侵入を防ぐ役割を持ちます。大島城では、この馬出を囲むように三日月型の堀が「二重」に巡らされており、極めて高い防衛能力を誇っていました。
※現地見学のマナー
馬出の内部には現在私有地・民家が含まれています。敷地内に立ち入らず、道路や見学用通路から見学しましょう。
土塁で囲まれた「四角い死地(枡形)」の迫力

二重三日月堀・丸馬出を抜けた先に用意された、高大な土塁に囲まれた四角い空間(枡形)です。
侵入してきた敵兵は直進を阻まれ、必ず直角(L字型)に折れ曲がって進まざるを得ない構造になっています。周囲の土塁の上からは守備側が弓矢や鉄砲で集中的に射撃できるよう設計されており、一度進入すると逃げ場のない「殲滅空間」として機能しました。
「北側の馬出し」は「二の丸・北の丸」を守る多重防衛の構え

大手側の馬出を破られても、城の深部(二の丸や本丸)へ容易に回り込まれないよう、北側の曲輪(二の丸・北の丸)の横腹をガードする位置に配置されています。正面だけでなく、側面に回ろうとする敵兵を横断(横矢掛かり)で射撃できる構造です。
三の丸は大島城内で最大級の広さ(大規模な兵力集結拠点)

三の丸は、本丸や二の丸と比較しても城内で最も広い面積を持つ曲輪の一つです。 ここには、大手口から出撃する武田軍の兵士や馬を留め置く(留兵・待機させる)役割がありました。正面の「丸馬出」や「枡形虎口」と連動して、一気に多数の兵を城外へ打って出させるための「出撃基地」として機能していました。
二の丸の丸馬出と堀は二重防御構造

大島城の二の丸馬出と堀は、本丸直前の二の丸防衛を担う武田流築城術の核心部です。
大手側の丸馬出より一回り小さく作られており、地形の制約に合わせた「角馬出(または小規模な丸馬出)」として緻密に配置されています。
馬出を囲む深大な空堀と高大な土塁により、大手から侵入した敵の勢いを最終ラインで遮断し、本丸への進入を阻む強固な二重防御構造を実現しています。
「二の丸虎口」は本丸手前の「最終防衛拠点」としての厳重さ

大島城の深部(本丸)を守るための最終防衛ラインであり、直前に控える馬出や大空堀と一体となって、城内でも最も厳重かつ厳密に計算された防御区画を形成しています。
本丸虎口の物理遮断

二の丸と本丸の間を分断する大空堀(深さ・幅ともに城内最大級)を跨ぐ場所に位置します。

当時は橋(木橋)が架けられており、二の丸が破られた際にはこの橋を落とすことで、敵の進入を完全に物理遮断できるよう設計されていました。
本丸は「段丘先端」の地形を最大限に活かした絶対の安全圏

本丸の東側および北側は、天竜川へと垂直に削り落ちる数十メートルの断崖絶壁になっています。背後からの攻撃が100%不可能であるため、守備側は正面(二の丸側)の防衛だけに戦力を集中できる「一方向防衛」の核心部となっています。
切ない伝承が残る「姫と金鶏の伝説の井戸」
城内の一角には古井戸の跡が残されています。 1582年の落城時、城主の姫が黄金の鶏を抱いてこの井戸に飛び込んだという「金鶏伝説」が語り継がれています。静けさに包まれた井戸跡は、戦国の哀史を今に伝えるスポットです。

残念ながら写真はありません。
本丸からの絶景展望

本丸跡まで進むと、パッと視界が開けます。 天竜川の河岸段丘の上にあるため非常に見晴らしが良く、天気が良い日には中央アルプスや南アルプスの雄大な山々が一望できます。
アクセス方法と駐車場情報
車でのアクセス(おすすめ)
- 中央自動車道「松川IC」より車で約10〜15分。
- 駐車場:「台城公園駐車場」(無料・普通車約30台分あり)。トイレも併設されています。
電車・徒歩でのアクセス
- JR飯田線「山吹駅」より徒歩約20分。
- JR飯田線「伊那大島駅」よりタクシーで約10分。
※伊那谷の心地よい風とアルプスの山々を眺めながら歩けるため、気候が良い時期は山吹駅からのハイキングもおすすめです。
見学の所要時間と散策の注意点
所要時間の目安
- サクッと見学(馬出・三日月堀メイン): 約30分
- じっくり見学(全域散策・写真撮影・案内板熟読): 約1時間〜1時間30分
散策の注意点&持参物
- パンフレットを入手する:駐車場近くの公衆トイレ横などに縄張図付きのパンフレットが設置されていることが多いので、まず手に入れてから散策をスタートしましょう。
- 服装・足元に注意:見学ルートは一部山道や草地になっています。スニーカーなどの歩きやすい靴と、夏場〜秋口は虫刺され防止のために長袖・長ズボンでの訪問を推奨します。
2026年9月19日の訪問記
ずっと足を運びたいと思っていた大島城跡へ、2026年9月19日に初めて訪問しました。
到着早々、駐車場の入り口に現れる有名な「丸馬出」と「二重三日月堀」の造形に一気に圧倒されます。さらに驚いたのは、その丸馬出の中に現在も民家が建っていること。貴重な城郭遺構と現代の暮らしが重なり合う不思議な光景がとても印象的でした。
現地で縄張図を確認すると、大島城は三方を崖と天竜川に守られた「段丘先端型(だんきゅうせんたんがた)」の縄張になっていることが分かります。背後や側面の攻撃を天然の地形によって完全に遮断し、敵の攻め手を大手(正面)側という「一方向」に限定させることで、迎撃の効率と防御力を極限まで高める構造です。これは新府城や諏訪原城などにも通じる、まさに武田流築城術(甲州流)の神髄と言えます。
実際に城内を歩いてみると、その堅固さを肌で実感できました。仮に主君・勝頼からの後詰(後方からの補給・救援)が期待できる状況であれば、1万人規模の敵勢に対しても1,000人ほどの兵で半年近くは持ちこたえられそうな、実に頼もしく重厚な要塞です。
しかし、歴史の現実はあまりにも非情でした。天正10年(1582年)、織田信忠率いる3万から5万とも言われる大軍が押し寄せた際、勝頼からの後詰は絶望的であり、武田方の指揮官や兵士たちの士気もすでに崩壊していました。結果、守将の武田逍遥軒信綱(信廉)らは戦うことなく逃亡し、近隣の飯田城や飯島城と同様に自落の道をたどります。
すでに武田勝頼から人心は離れていました。どれほど立派で堅固な城を築いたとしても、守る「人の心」が離れていては城は機能しない――大島城跡は、武田流築城術の美しさと同時に、現代の組織や人間関係にも通じる深い教訓を教えてくれる場所でした。
【注意】これから大島城を訪問する方へ(リアルな実測アドバイス)
実際に訪れて分かった、散策時の注意点と反省点です。
- 虫除け対策は必須:9月中旬でも蚊が非常に多く、常に蚊に追われながら撮影する形になりました。訪問時は長袖・長ズボンを着用し、虫除けスプレーを必ず持参してください。
- 静まり返る城郭とちょっとした恐怖感:祝日にも関わらず見学客が誰もおらず、静寂に包まれた城郭内は少し怖さを感じるほどでした。そのため今回は滞在時間を短縮し、楽しみにしていた「姫と金鶏の伝説の井戸」の見学は断念することに……。少し心残りができたので、次回は季節を変えてリベンジしたいと思います。
今後の期待とまとめ:地域の歴史を未来へ
大島城は甲州征伐(武田家終焉)の重要な舞台となったお城です。
駐車場内に観光案内所などが整備され、比較的近い高遠城や飯田城と組み合わせた「武田流城郭めぐり観光ルート」などができたら、より魅力的なスポットになると感じました。
大きな戦禍に巻き込まれず、地元の方々が何百年も大切に守り継いでくれたおかげで、私たちは今こうして素晴らしい遺構を無料で体感できます。歴史の浪漫と学び、そして地域の愛を感じられる、最高のお城訪問となりました。
大島城(台城公園)は、派手な天守閣こそありませんが、戦国時代の土の城(土塁・堀・馬出)の魅力が凝縮された素晴らしい史跡です。
二重三日月堀の緻密な計算と迫力は、城郭ファンならずとも一見の価値があります。長野・伊那谷エリアを観光される際は、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。





