〜高天神城包囲網の要衝!神奈川じゃない「遠州横須賀」の極上城郭遺構を徹底解説〜
「横須賀城」と聞くと神奈川県の横須賀市を連想しがちですが、実は静岡県掛川市(旧大須賀町)に所在する徳川家康ゆかりの非常に重要な城郭跡です。

武田勝頼の守る難攻不落・高天神城を攻略するために築かれた「包囲陣城」から発展した城であり、最大の特徴は天竜川の河原石を用いた全国的にも極めて珍しい「玉石積み(丸石垣)」です。
本記事では、実際に城跡を巡る際に役立つ見どころ・縄張り構造・御城印の入手場所・無料駐車場アクセスを余すところなく解説します!
横須賀城とは?神奈川じゃない!静岡県掛川市にある徳川家康ゆかりの城
高天神城を追い詰めた「家康の包囲陣城」としての発祥
横須賀城は天正7年(1579年)、徳川家康の命を受けた重臣・大須賀康高(おおすが やすたか)によって築かれました。徳川家康自らが縄張りを指揮した最初の城郭とされています。

当時、武田勝頼の手に落ちていた遠州の要衝「高天神城」を奪還するため、家康は高天神城を取り囲むように「高天神六砦」をはじめとする包囲網を敷きました。その補給・指揮拠点として築かれたのが、この横須賀城です。
高天神城が落城した後も、横須賀城は遠州南部の政治・経済・軍事の拠点として維持され、須賀藩の藩庁として明治の廃城まで存続しました。
ナビ設定時の注意点:神奈川県横須賀市との誤解に注意!
検索エンジンやカーナビで「横須賀城」と検索すると、神奈川県横須賀市の情報が表示されることがあります。目的地を設定する際は、必ず「静岡県掛川市西大渕」にある「横須賀城跡」または「横須賀城跡公園駐車場」を指定してください。

横須賀城跡の絶対見逃せない4つの見どころ
他では見られない!天竜川の「玉石積み石垣(丸石垣)」
横須賀城最大の建築的見どころは、城内の各所に見られる「玉石積み」の石垣です。

一般的な城郭石垣では割石(打ち込みはぎや切込みはぎ)が用いられますが、横須賀城では天竜川から運ばれたとされる丸い河原石(玉石)が積み上げられています。
💡 観察ポイント:丸い石を積む職人技
丸い河原石は滑りやすく崩れやすいため、石垣の施工には高度な技術を要します。角部分(出隅)には角張った石を用いて強度を確保し、内側へ傾斜を持たせながら精巧に積み上げています。近世城郭への過渡期を示す貴重な石垣構造です。
築城当時は海に面していた!?「海城(入江)」の面影と地形
現在の横須賀城跡は内陸の平野部に位置していますが、築城された戦国時代末期にはすぐ近くまで入江(遠州灘に通じる水路)が迫っていた「海城」でした。
軍船を引き入れる船着き場(港湾機能)を備えており、武田方の補給路を打ち切ると同時に、徳川方の海上補給基地として機能していました。後世の地震や開墾により海岸線は遠のきましたが、城郭西側の低地などに当時の水運遺構を感じることができます。
天守台と三日月池の遺構

本丸の北西隅には重厚な高台となった天守台跡が残っています。かつては4重の天守が聳えていたとされています。

また、城内には水堀の名残である「三日月池」が良好な状態で保存されており、平城(水城)特有の美しい景観を楽しめます。
築城当時の荒々しさを残す「松尾山」と巨大な大堀切
本丸の北東奥に位置する松尾山(標高約26m)は、天正6年(1578年)に徳川家康が大須賀康高に命じて築城した際、最初に本丸(主郭)が置かれたとされる横須賀城の発祥地です。築城当初は、この松尾山と北の丸を中心としたコンパクトな陣城からスタートしたと言われています。

近世城郭として整えられた本丸周辺の洗練された玉石垣とは対照的に、この松尾山の背後(北側)には幅約10〜15m、深さ5m前後の豪快な「大堀切」がしっかりと刻まれています。
小笠山側から続く尾根筋をバッサリと断ち切るこの大堀切は、高天神城の武田軍を警戒し、陸続きの北側からの侵攻を食い止めるために掘られた要害です。美しい玉石垣とあわせて見学することで、武田vs徳川の死闘の緊迫感や、戦国期の「陣城」から始まった横須賀城の原点の雰囲気をリアルに実感することができます。

徳川家康が築いた陣城時代の骨格や歴史の痕跡を深く味わうなら、松尾山周辺は絶対に外せない必見スポットです。
横須賀城の「御城印」と続日本100名城・高天神城とのセット巡り
御城印の購入場所・値段ガイド
横須賀城の御城印は、城跡近隣の観光案内施設などで入手可能です。デザインには大須賀氏の家紋や玉石垣のイラストがあしらわれています。
| 施設名 | 所在地 / 備考 | 城跡からの距離 |
|---|---|---|
| プラザ大須賀(掛川市南部観光案内処) | 掛川市西大渕4398-1 ※横須賀の歴史資料展示や特産品販売あり | 徒歩 約8分(車で2分) |
| 遠州横須賀まちかど館 | 掛川市横須賀(街道沿い) ※ちりめん文庫や古い町並み散策の拠点 | 徒歩 約12分 |
| 掛川駅ビジターセンター「旅のコンシェルジュ」 | JR掛川駅構内 ※電車利用時の事前入手におすすめ | 車で 約25分 |
※御城印の価格は1枚400円前後です。休館日や営業時間は事前にお確かめください。
【おすすめルート】続日本100名城「高天神城」との連動見学
横須賀城を100%楽しむなら、車で約15〜20分の距離にある「高天神城(続日本100名城)」とのセット巡りが絶対におすすめです。
「高天神城の猛攻を受け止めるために作られた横須賀城」という歴史的背景を踏まえて双方を訪問することで、徳川と武田の遠州攻防戦の臨場感をより深く体感できます。
横須賀城跡へのアクセス・駐車場情報
車でのアクセス(おすすめ)
- 東名高速道路「掛川IC」より: 約20分(南へ約12km)
- 東名高速道路「袋井IC」より: 約25分
- 国道150号線より: 「西大渕」交差点を北へ曲がってすぐ
駐車場・トイレ情報(すべて無料)
城跡の南側および西側に無料駐車場が整備されています。西側には大型バスの駐車スペースや、清潔なトイレも完備されているため、長距離ドライブの立ち寄りでも安心です。
普通車ならば満車の心配はありません。
電車・バスでのアクセス
JR袋井駅から JR袋井駅前3番乗り場から秋葉中遠線「大東支所」行又は「横須賀車庫前」行で「七軒町」下車、徒歩5分
横須賀城の所要時間の目安
近世の玉石垣と、戦国期の陣城の面影を残す大堀切の両方をじっくり比較・堪能したい城郭ファン・写真好きの方はこちらの時間が目安となります。
サクッと見学(標準コース):約30分〜45分
駐車場から本丸周辺、見事な玉石垣、三日月池、天守台をぐるっと一通り巡るコースです。
散策路や案内板が整備されているため、主な見どころを短時間でスムーズに見て回ることができます。
じっくり散策・写真撮影(おすすめコース):約60分〜90分
本丸周辺に加えて、城内最奥の松尾山や大堀切、北の丸跡まで足を伸ばし、写真をこだわりながら巡るコースです。
【登城レポート】2026年8月10日訪問
2026年8月10日に横須賀城跡を訪問してきました。

本丸虎口近くの駐車場に車を止め、虎口の階段を登ると、あっさりと本丸と天守台に到達しました。これまで巡ってきたお城と比べても「こんなにあっさりと本丸に到達できるのか」と、少し驚いてしまいました。

もちろん、当時はこれほど簡単に本丸へ侵入できたわけではありません。 往時の横須賀城は水堀や空堀で厳重に囲まれ、南側には穏やかな入江(海)が広がっていたといわれており、非常に攻めがたい「堅城」でした。
この城の最大の目的は武田方の「高天神城」の攻略ですが、陸上だけでなく武田水軍の牽制と壊滅においても大きな役割を果たしました。 水陸双方のルートを完全に押さえた徳川家康は、高天神城への補給路を完全に断ち切ることに成功します。「六砦」をはじめとする21ヶ所にも及ぶ城砦群の整備、そしてこの横須賀城の築城によって、ついに高天神城を攻め落とすことができたのです。
現地の風を感じながらこの地を歩いてみると、一つの城を落とすためにここまで徹底した陣形を敷いた家康の、並々ならぬ決意と執念がひしひしと伝わってきます。 かつて織田信長から「武田に対して慎重すぎるのではないか」と苦言を呈されたとも伝わる家康ですが、この慎重かつ情け容赦のない兵糧攻めこそが彼の真骨頂と言えるかもしれません。
横須賀城を拠点とした高天神城奪還の翌年、織田・徳川連合軍による甲州征伐が行われ、名門・武田氏は滅亡を迎えます。まさに武田滅亡へのカウントダウンが始まった歴史の転換点を実感できる、非常に深い登城となりました。



