【初めての小諸城】見落とし厳禁!「大手門」から始まる懐古園の王道散策

初めての小諸城 城ガイド

小諸城(こもろじょう)は、長野県小諸市にある戦国〜江戸時代の城跡です。現在は「懐古園(かいこえん)」として整備・公開されており、日本100名城(第29番)に選定されています。

標高約700mの高原に位置し、浅間山を望む雄大な自然環境と歴史的な石垣・城門が融合した景観は、多くの観光客・歴史ファンを魅了しています。

小諸城最大の特徴は、「穴城(あなじろ)」と呼ばれる独特の構造です。

小諸城のマップ
小諸城のマップ

通常の城は、敵を見下ろすために高台に築かれます。しかし小諸城は、城下町よりも低い場所に城郭が築かれております。

さすがに城郭内は、三の丸→二の丸→本丸と進むにつれて標高は上がっていきますが城下町より低い場所に築かれた城は日本の城の中で小諸城だけに見られる珍しい構造で、「日本唯一の穴城」と称されます。

ここからは、実際に小諸城を歩く際のおすすめルートをご紹介します。 冒頭でお伝えした「初めての人がやりがちな失敗」とは、改札や駐車場がある『懐古園(三の門)』側だけを見て満足して帰ってしまうことです。実は、小諸城の旅は「線路の反対側」から始まっています。


小諸城のおすすめルートと見どころ5選

線路の東側に佇む重要文化財「大手門」

まずは、しなの鉄道の線路を挟んで東側にある「大手門」へ向かいましょう。

小諸城の大手門
小諸城の大手門

仙石秀久によって慶長17年(1612年)に建てられた、国指定重要文化財の門です。小諸城はかつては関ヶ原の戦いの際、徳川秀忠が本陣を置いた場所でもあります。

大手門の内部
大手門の内部

大手門は明治時代に民間に払い下げられ、一時は料亭として使われていたという数奇な運命を持っていますが、平成の修理で見事に往時の姿を取り戻しました。

大手門の天井
大手門の天井

大手門は外から眺めるだけでなく、実は2階の内部も見学可能です(※内部拝観は有料で、懐古園の共通券が使えます)。仙石時代の重厚な木造建築を内側からじっくり味わえるので、カメラを持ってぜひ上ってみてください。

大手門
大手門

総瓦張りの重厚な楼門をファインダーに収め、ここが城の「正門」だったのだと実感してから城内へ進むのが王道です。

城のシンボル「三の門」と下っていく縄張り

三の門
三の門

大手門から線路をくぐって懐古園側へ移動すると、有名な「三の門」(重要文化財)が迎えてくれます。

門に掲げられた「懐古園」の扁額を見上げながら門をくぐると、そこから道は緩やかに下り坂へ。両脇に現れる苔むした美しい石垣を眺めながら、穴城の不思議な高低差を体感してください。

徳川秀忠の本陣となった「二の丸跡」:関ヶ原の戦いの裏舞台

二の丸跡の階段
二の丸跡の階段

 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに向かう途中の徳川秀忠が、真田昌幸・信繁(幸村)親子が籠る「上田城」を攻める際、この小諸城の二の丸に本陣(前線基地)を置きました。

二の丸跡
二の丸跡

ここで真田の策略に翻弄され、結果として関ヶ原本戦に遅刻してしまい、父・家康を激怒させたという「歴史が動いた場所」です。

穴城の断崖絶壁を体感できる「黒門橋」

黒門橋
黒門橋

黒門は、小諸城本丸御殿の入り口に設けられた門で、本丸から数えて最初の門であることから一ノ御門とも呼ばれていました。

黒門の前に架かるのが黒門橋です。小諸城本丸御殿に入るには城内に一ヵ所だけあるこの橋を渡らなければなりませんでした。黒門橋は算盤橋(橋の下に多数の車を取り付けた可動橋)であったといわれており、敵が攻め込んできた際にはすばやく城内に橋を引き込み、侵入を防ぐことができました。

黒門橋と紅葉谷
黒門橋と紅葉谷

そして、黒門橋の最大の魅力は、橋の上から見下ろす紅葉谷と呼ばれる空堀の深さとスケール感です。 深さは8メートル近くあります。

仙石秀久の熱量が伝わる「野面積みの石垣」と天守台

天守台の石垣
天守台の石垣

小諸城で最も城郭マニアの心を震わせるのが、本丸跡周辺や天守台に残る「野面積み(のづらづみ)の石垣」です。

本丸跡の石垣
本丸跡の石垣

浅間山の火山礫(あさま石)というゴツゴツとした自然石を、加工せずにそのまま積み上げています。荒々しくも武骨で力強い佇まいは圧倒的な存在感です。

天守台跡
天守台跡

天守台の上に登れば、かつて仙石秀久が見下ろしたであろう千曲川や、城の背後に控える断崖絶壁(地獄谷)の緊迫感を肌で感じることができます。


初めての小諸城訪問でお役立ち情報(所要時間・アクセス)

最後に、初めて現地を訪れる際にスムーズに回るための実用情報をまとめました。

  • 目安の所要時間:
    • 大手門〜三の門〜本丸跡〜天守台まで、写真を撮りながらじっくり回ると約1時間半〜2時間ほどかかります。
  • おすすめの駐車場:
    • 車でアクセスする場合、懐古園の目の前にある「懐古園駐車場(有料)」が最も便利で迷いません。大手門へも歩いて数分で行き来できます。
  • 足元へのアドバイス:
    • 城内、特に天守台や谷周辺は足場が悪い場所があります。野面積みの石垣を近くで観察するためにも、ヒールではなくスニーカーなどの歩きやすい靴での訪問が必須です。

【現地レポート】「穴城」なのに登っている!?小諸城の高低差マジック

2026年5月2日、私は初めて小諸城(懐古園)の地を踏みました。 小諸城といえば、全国的にも珍しい「城下町よりも低い場所に城郭が築かれている穴城」として有名です。

事前情報によると三の丸から本丸まで下がっていく城とのことでしたが…。

実際に三の門から本丸に向かって歩みを進めていくと、不思議なことに、むしろ「だんだん高い場所へと登らされている」ような感覚を覚えました。

実はこれこそが、この城に仕掛けられた鉄壁の防衛マジック。 一度低く下がった道筋から、本丸や二の丸へと向かうルートには巧妙な傾斜がつけられており、さらに奥へ進むほど、見上げるような巨石の石垣(枡形構造)が目の前に立ちはだかります。

「低い城」でありながら、攻め込んでくる敵には圧倒的な「高低差の威圧感」を与える――。当時の築城家たちが仕掛けた、視覚的な防御施設トラップを肌で体感した瞬間でした。

「穴城なのに、進むほど高く感じる――。」 気になって後から調べてみると、この直感は正解でした。小諸城は城下町よりは低いものの、城内に入ると「三の門が一番低く、奥の本丸や天守台に向かって再び数メートル高くなる」という、すり鉢状のハイブリッドな高低差を持っていたのです。

低い場所にありながら、城内ではしっかりと高所から敵を見下ろして迎撃する。まさに、実戦を潜り抜けてきた武将たちのリアルな防衛施設としての知恵を、足の裏からダイレクトに実感した瞬間でした。

江戸時代の小諸城のマップ(絵図)
江戸時代の小諸城のマップ(絵図)

その後、江戸時代の小諸城のマップ(絵図)を見る機会がありましたが、改めて非常に強固な「硬城」だと確信しました。

地獄谷と月酔橋
地獄谷と月酔橋

大手門側から攻め入る場合、東西を深い谷に遮られているため、攻め手はあの「三の門」を突破するしかルートがありません。守る側からすれば、これほど的を絞りやすく、守りやすい城はなかったのではないでしょうか。

だからこそ小諸城は、織田信長による甲州征伐の際、武田方にとって運命の重要拠点となりました。武田の血を後世に残すため、武田勝頼の従兄弟である武田信豊がこの堅城に拠って再起を図る予定だったのです。

しかし、最後は城の構造ではなく「人の心」によって崩壊します。城代の下曽根浄喜(覚雲斎)に背かれ、信豊はこの小諸城で無念の自刃(最期)を遂げることとなりました。一度もその真価を発揮することなく、武田の歴史とともに幕を閉じた鉄壁の穴城。新緑の静寂に包まれた現在の懐古園を歩いていると、戦国乱世のあまりにも切ない劇的なドラマが、迫り来る石垣の隙間から伝わってくるようでした。

武田氏の滅亡とともに一度は静まり返った小諸城ですが、その強固な「硬城」としてのポテンシャルが、のちに天下分け目の大戦でついに牙をむくことになります。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐で功績を挙げた仙石秀久(せんごくひでひさ)が小諸に入封。秀久の手によって、現在私たちが目にすることができる強固な野面積みの石垣や、壮大な城門が築かれ、近代小諸城へと大改修されました。

そして慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発。 この時、この鉄壁の穴城は徳川軍の巨大な前線基地となりました。徳川家康の嫡男・徳川秀忠率いる3万8,000の大軍が、真田昌幸・信繁(幸村)親子が籠る上田城を攻略するため、まさに私が先ほど通り過ぎてきた「二の丸」に大本陣を置いたのです。

結果として秀忠は、真田のゲリラ戦術に翻弄されて時間を費やし、関ヶ原の本戦に遅刻するという生涯最大の失態を演じることになります。武田の悲劇の舞台となり、徳川の焦燥の舞台となった場所。小諸城は、名だたる武将たちの「狂おしいほどのドラマ」をその深い谷底に飲み込んできたお城なのです。

今回、小諸城をじっくり巡った後は、その足でそのまま次の目的地である「上田城」へと向かいました。 秀忠を大遅刻させた真田の城と、秀忠が焦りながら軍議を開いていたであろう小諸城の二の丸。この2つの城をセットで体感できたのは、歴史好きとして本当に贅沢な時間でしたし、物語の表と裏を同時に覗いたような深い興奮がありました。

千曲川を眼下に見下ろす水の手展望台から
千曲川を眼下に見下ろす水の手展望台

初めて訪れた小諸城でしたが、新緑の美しさはもちろん、徹底して実戦を想定した縄張りの凄み、そして武将たちの執念の跡も含めて、すっかりこの城の虜(とりこ)になってしまいました。 季節が変わったらまたカメラを担いで、あの「足の裏から伝わる違和感」を確かめに、必ず再訪したいと思います。

まとめ:高低差が生み出す歴史のドラマを体感しよう

小諸城(懐古園)は、日本唯一の「穴城」構造という希少な特徴を持ちながら、武田信玄・山本勘助・仙石秀久・徳川秀忠など戦国〜江戸の歴史を凝縮した名城です。

重要文化財の大手門・三の門、苔むした野面積みの石垣、四季折々の自然…。鉄道駅に直結という抜群のアクセスも魅力で、日帰り観光にも最適です。

小諸八重紅枝垂
小諸八重紅枝垂

日本100名城めぐりをしている方はもちろん、戦国史ファン・桜名所を求める方・軽井沢旅行のついでに立ち寄りたい方にも、ぜひ訪れてほしい長野屈指の史跡です。

ぜひ、線路の東側にある「大手門」からスタートするルートで、そのダイナミックな高低差と歴史のドラマを体感してみてください!