【初めての松代城】歴史のドラマと絶対にハズせない見どころ5選を徹底解説!

初めての松代城 城ガイド

武田信玄と上杉謙信が激突した「川中島の戦い」の舞台であり、のちに名門・真田一族が10代にわたって統治した松代城(まつしろじょう)。長野県長野市松代町にあるこのお城は、戦国乱世の緊張感と江戸時代の格式、そして自然の脅威に立ち向かった先人たちの知恵を今に伝える、歴史ファン必見のスポットです。

松代城のマップ
松代城のマップ

今回は、初めて松代城を訪れる方に向けて、知っておくと観光が10倍面白くなるドラマチックな歴史背景と、絶対にハズせない見どころ5選を分かりやすく解説します!

初めてでも感動する「松代城」2つの歴史ドラマ

松代城を歩く前に、まずはこの地をめぐる熱い歴史のストーリーを押さえておきましょう。

武田信玄が築いた最強の砦「海津城」としての始まり

松代城の歴史は、戦国時代の1560年頃に始まります。当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれ、武田信玄が宿敵・上杉謙信との「川中島の戦い」に備えて築かせました。信玄の天才軍師・山本勘助が築城に関わったという伝説も残る、まさに戦国乱世の最前線基地だったのです。

永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いでは、信玄自身がこの城から出撃し、妻女山の上杉軍と激戦を繰り広げました。 

徳川秀忠の思惑?真田信之の「松代大抜擢」

江戸時代の1622年、真田幸村(信繁)の兄である真田信之が、住み慣れた上田城からこの松代へ移封(国替え)を命じられます。 「真田家に対して積年の恨みを持つ徳川秀忠の報復人事」や「真田を警戒した徳川幕府の罠(嫌がらせ)」と言われることもありますが、恐らく違うでしょう。後世の創作だと思われます。

理由は以下のとおりです。

  • 従来の10万石(上田・沼田の合計)から 13万石へと加増されています。
  • 松代は信濃と越後(上杉領)を結ぶ、関東・江戸の防衛における軍事的な超要衝。かつて家康の六男・松平忠輝が藩主をしていたことからも、この土地の重要性が伺えます。松代はマイナスの人事を行う場所ではありません。
  • 松代に移った真田家は、「外様大名」の家格でありながら、江戸城内では譜代大名や有力大名しか入れない上位の詰席「帝鑑の間(ていかんのま)」を与えられていました。これは徳川が真田を身内同様に信頼していた決定的な証拠です。
  • のちに3代将軍・家光の命で行われた天下普請(江戸城の拡張工事)では、真田家が外堀の開削を担当し、今も四ツ谷駅近くに「真田堀」の名が残っています。もし幕府が真田を危険視・嫌悪していたなら、江戸の心臓部の工事など絶対に任せませんし、その名を残すことなど許さなかったはずです。

こうして並べてみると、すべてが一本の線で繋がります。2代将軍・徳川秀忠の思惑は、恨み節などではなく、「徳川に忠誠を尽くし、実務能力も抜群なベテラン大名・真田信之に、関東の盾となる松代を任せる」という、極めて合理的で信頼の厚い国家安全保障上の大抜擢だったと思われます。

真田時代の治水事業

江戸時代末期の松代城
江戸時代末期の松代城

1622年に真田信之が松代に入封して以降、真田家にとって最大・最強の敵は、実は隣国の大名ではなく、目の前を流れる暴れ川「千曲川(ちくまがわ)」でした。

真田時代の松代藩は、歴代藩主が執念深く治水事業を続け、お城と城下町を水害から守り抜きました。

真田時代の治水事業の中で、最も大規模で歴史を大きく変えたのが、お城の西側に流れていた千曲川の流れを変え城から遠ざけました。そして西側に水防のための土塁を築きました。

新堀
新堀

治水事業の結果、旧千曲川は、百間堀および新堀として残りました。新堀は今も残っています。

初めての観光で絶対にハズせない!松代城の見どころ5選

平成の復元工事によって見事に蘇った松代城跡。その中でも特にカメラに収めたい、見ごたえ抜群のスポットを5つ厳選しました。

圧倒的な威風!平成に蘇った「太鼓門」と「枡形虎口」

太鼓門前橋
太鼓門前橋

お城の正門にあたる「太鼓門(たいこもん)」は、手前に架かる木橋(太鼓門前橋)と合わせて松代城のベストフォトスポットです。門をくぐると、周囲を白い土塀と石垣で囲まれた四角い空間「枡形虎口(ますがたこぐち)」が広がります。これは侵入してきた敵の勢いを鈍らせ、上から一網打尽にするための戦闘システム。当時の緊迫感を肌で体感できます。

太鼓門
太鼓門

北アルプスを一望する絶景「本丸跡(戌亥櫓台)」

戌亥櫓台
戌亥櫓台

松代城には天守閣がありませんでしたが、その代わりに天守の役割を果たしていたのが本丸の北西にある「戌亥櫓(いぬいやぐら)台」です。この立派な石垣の上には登ることができ、周囲の山々や千曲川の広大な景色が一望できます。

水面に映る石垣が美しい「水堀」

水堀
水堀

本丸や二の丸の周囲をぐるりと囲む「水堀(みずぼり)」。この豊かな水面と、どっしりとした石垣のコントラストはどこから切り取っても絵になります。

太鼓門と水堀
太鼓門と水堀

松代城は長野県内屈指の桜の名所でもあり、春になると約100本の桜が咲き誇り、水面にピンク色の花びらが広がる幻想的な景色を楽しめます。

「埋門」

埋門
埋門

現在、松代城跡(本丸の西側、戌亥櫓台の少し南あたり)に復元されている埋門は、実際に中を歩いて通り抜けることができます。

現地で観察する際は、ぜひ以下の3つのステップで体感してみてください。

埋門と石垣
埋門と石垣
  1. まず、少し離れて見てみる 「本当に土壁と同化していて、遠目だと門って分かりにくいな」という隠密性を実感できます。
  2. 近づいて、石の積み方を見る トンネルの入り口部分だけ、頑丈に石垣が組まれています。これが千曲川の丸い自然石を使った松代城特有の積み方(野面積み)です。
  3. 実際にくぐる 大人が少しかがんで通るような、狭くて低い空間です。ひんやりとした薄暗い空間を通り抜けます。

鉄壁の裏口「北不明門(きたあかずもん)」

不明門
不明門

本丸の北側(裏手)を守るのが「北不明門(きたあかずもん)」です。 防犯のため普段は固く閉ざされていたことから「不明門」の名が付きました。高麗門・枡形虎口・櫓門が連動する容赦ない迎撃システムでした。裏口といえども一切の手抜きがない堅固な造りが見どころです。

あわせて巡りたい!松代城周辺のおすすめ観光スポット3選

松代城の周辺には、戦国・江戸の歴史がぎゅっと詰まった見どころが数多く点在しています。お城とあわせて絶対に巡るべき、徒歩圏内の外せない名所を3つ厳選してご紹介します。

真田邸
真田邸
  • 真田邸(城から徒歩5分):江戸時代末期、松代藩主の母大夫人(隠居所)のために建てられた格式高い御殿建築です。明治以降は真田家の私邸として使われ、当時の姿をほぼ完全に残す貴重な遺構となっています。四季折々の表情を見せる美しい日本庭園「水心秋月亭」を縁側から眺める時間は格別です。
真田宝物館
真田宝物館
  • 真田宝物館(城から徒歩5分): 真田一族の本物の書状や甲冑を展示。兄弟の絆や激動の歴史を生きた証を間近で見られます。
松代藩文武学校
松代藩文武学校
  • 松代藩文武学校(城から徒歩5分):幕末の安政2年(1855年)に開校した松代藩の藩校(学校)です。驚くべきは、文学所や剣術所、弓術所といった建物群が当時の姿のまま完全に現存していること。一歩足を踏み入れると、幕末の志士たちが文武両道に励み、日本の夜明けを議論していた熱気がそのまま伝わってくるかのような、凛とした空気が漂っています。

松代城観光の基本情報(アクセス・所要時間)

初めて行く方がスムーズに旅を楽しめるよう、実用的なインフォメーションをまとめました。

項目詳細情報
見学の所要時間・松代城跡(本丸周辺)のみ:約30分〜45分
・周辺の真田邸・真田宝物館・文武学校も含めて巡る場合:約2時間〜3時間
アクセス(車)上信越自動車道「長野IC」から約10分。
※城のすぐ近くに無料の「松代城跡駐車場」があります。
アクセス(バス)JR・しなの鉄道「長野駅」善光寺口3番のりばから、アルピコ交通バス「松代行き」で約30分。「松代駅」バス停下車、徒歩約5分。
御城印・日本100名城スタンプ松代城観光案内所(真田邸の向かい)や真田宝物館にて、真田家の家紋「六文銭」があしらわれた美しい御城印が購入できます。100名城スタンプも案内所に設置されています。

松代城の訪問記

2026年5月3日、初めて松代城を訪問しました。

ここは武田信玄が上杉謙信への前線基地として築いた堅固な城です。川中島古戦場からわずか約4km(車で約10〜15分、自転車で約20分)の非常に近い距離に位置しています。 武田ファンとしては一度は訪れたい場所です。

松代城(当時の海津城)は、あの戦の天才・上杉謙信ですら、正面から攻めることを諦めた(避けた)城として知られています。これこそが、この城が築城当時からどれほど強固な「硬城」であったかの動かぬ証左でしょう。

旧樋口家住宅
旧樋口家住宅

松代城に一歩足を踏み入れて最初の感想は、「これぞ、本物の城下町だ」ということでした。松代城の周辺には江戸時代末期の建築物である真田邸を筆頭にかっての武家屋敷が今なお多く残っています。

松代藩文武学校内
松代藩文武学校内

さらに、松代藩の藩校である「文武学校」も当時の姿を留めており、一街区全体がタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。私はこれまで数多くの城を訪問してきましたが、正直に申し上げて、現代において「ここは城下町だ」と心から実感できる場所は決して多くありません。しかし、松代は違いました。文化を現代まで大切に継承してきた街なのです。

松代城の歴史を調べてみると、かっては本丸内に遊園地、二の丸には市民プールがあったそうです。そして敷地内には電車が走っていたとか。中々の歴史を歩んでいます。

復元中の丸馬出しと三日月堀
復元中の丸馬出しと三日月堀

現在の松代城とはいうと、平成の松代城跡第1期整備で太鼓門や内堀、北不明門等が復元されました。現在、松代城跡第2期整備が行われております。武田氏による築城技術を伝える貴重な遺構である丸馬出しや三日月堀の復元が進行中です。

これらがすべて復元されれば、戦国時代の武田氏が誇った甲州流築城術が視覚的に蘇ることになります。 一度も落城しなかった「硬城」の秘密が、江戸時代の真田の姿だけでなく、戦国時代の武田の遺構からも答え合わせができるようになります。完成したあかつきには、日本中のお城ファンが驚嘆する国内屈指の戦国城郭テーマパークへと変貌を遂げるのではないでしょうか。

  今回、松代城の後に上杉謙信の居城である春日山城への訪問が控えてため滞在時間は昼食を含め4時間ほどでした。正直に言って、非常に激しく後悔しています。あまりにももったいないことをしました。松代城や武家屋敷、文武学校の他に見どころが沢山ありました。

回りきれなかった名所の数々は、「次回訪問時までの宿題」とさせていただきます。