2026年5月2日、私は9年ぶり2回目となる上田城への訪問を果たしました。前回の訪問は大河ドラマ『真田丸』の翌年(2017年)でしたが、第一印象は「あれ、こんなに混雑していたっけ?」という驚きでした。近年の年間入城者数は130万人を超え、あの国宝・松本城を上回る人気を誇っています。今年は大河ドラマ『豊臣兄弟!』の影響もあり、その勢いはさらに増すでしょう。

正直に申し上げて、現在天守閣がなく遺構も限られている上田城は、建築物としてのレベルでは松本城に劣るかもしれません。では、なぜこれほど多くの人が上田城に惹きつけられるのか。それは、このお城が持つ「物語の強さ」に他なりません。
少数で大軍を破る奇跡、関ヶ原での一族のリスク分散戦略、天下人を翻弄した真田昌幸の生き様。秀吉から「表裏比興の者」と評された昌幸は主君を何度も変えましたが、筋の通らない最悪の裏切りはせず、かつて仕えた主君・武田家に対する本物の忠義を貫いた、どこか憎めない筋の通った人物でした。
そんな上田城ですが、歴史的真実を言うと「現在目に見える立派な石垣や櫓のほとんどは、真田時代のものではない」のです。関ヶ原の戦い後、初代上田城は徳川によって木っ端微塵に破壊されました。
今の上田城は、昌幸が仕掛けた「真田の土の設計」の上に、のちの城主・仙石氏が「江戸の石の設計」を上書きしたハイブリッドな城。今回は、この2つの時代を切り分けて、上田城の本当の見どころを紐解きます。
【真田昌幸の設計】今も残る「土と地形の罠」
建物は消え去っても、昌幸が仕掛けた「敵をハメるための骨組み」は100%残っています。
昌幸が惚れ込んだ天然の要害「尼ヶ淵(あまがふち)の断崖」

現在そびえ立つ見事な石垣の土台となっている「断崖絶壁」こそが昌幸の選んだ地形です。

かつては千曲川の分流が激しく流れる地であり、この絶壁があるからこそ「南側からは絶対に攻め落とせない」という昌幸の確信の跡が、今も圧倒的な高低差として残っています。
敵を落として仕留める「本丸空堀の深さと斜面」

正面の立派な門(東虎口櫓門)をくぐって本丸に入る際、短い橋を渡ります。この橋の下に広がる、深くて大きな「緑の窪み(谷)」が、まさに仙石氏の石垣とセットになった巨大な空堀です。
運気をも味方につけた「本丸土塁の隅おとし」

本丸の北東(鬼門)の角に回ると、土塁の角がわざと内側へ五角形に切り落とされています。大国に囲まれ、常に滅亡の危機と隣り合わせだった昌幸が、軍事的な防御力だけでなく、風水や神仏の加護まで総動員して城を守ろうとした「執念」の面影です。

砦へと続く抜け穴伝説「真田井戸」

真田神社の境内にある大井戸です。この底が北側の砦へと繋がっていたという伝説は、昌幸が得意とした「敵の背後に回り込む伏兵戦術」や「忍びを使った情報戦」をリアルに物語る設計思想の象徴です。
【仙石時代の設計】江戸最先端の「魅せる石の城」
真田氏が去った後、1626年から城を大改修し、現在の美しい姿に仕上げたのが仙石忠政(せんごくただまさ)です。
威圧感を放つ「東虎口櫓門」と北櫓・南櫓

城の正面入り口で迎えてくれる立派な門と櫓(※門と南北の櫓は平成に復元)

これらは仙石氏が「徳川の世」にふさわしい威厳を示すために、最先端の技術で建て直した近世城郭の姿です。

西櫓

江戸時代から残る現存遺構。
誰もが足を止める巨石「真田石」

東虎口櫓門の右側の石垣に組み込まれた、直径約3mもの大石です。伝承では「真田信之が持っていこうとして動かなかった」と言われますが、この立派な石垣を組んだのは仙石氏。真田の威徳を称えるためか、あるいは仙石氏の権力誇示のためか、歴史のロマンを誘う巨石です。
電車が通るほどの広大さ「けやき並木遊歩道(二の丸大堀跡)」

かつて上田城の二の丸を囲んでいた、幅が約20〜30メートルもある巨大な外堀の跡です。 真田氏が去ったあとの1626年、城主となった仙石忠政によって大規模に拡張されました。 大正時代から昭和にかけては、この広大な堀の跡に「上田温泉電軌(電車)」が走っていたという驚きの歴史を持ち、現在は緑豊かな遊歩道としてそのスケールを今に伝えています。
敵の金で城を建てた!?真田昌幸の恐るべき築城エピソード
上田城の築城には、真田昌幸の天才的な外交戦略が隠されています。 1583年、小大名だった真田家は、上杉と徳川という巨大勢力に挟まれていました。そこで昌幸はまず徳川家康に臣従し、「上杉を食い止めるための城が必要です」と持ちかけ、なんと上田城の建築費用を徳川に全額負担させ、大工まで派遣させて城を建てさせたのです。

しかし城が完成に近づくと、昌幸は手のひらを返して上杉と密通し、徳川と断交。つまり上田城は、「のちに自分たちを攻めてくる徳川家康のポケットマネーで建てられた城」なのです。自分が金を払って作らせた城に、自分がコテンパンに叩きのめされる――家康の怒りは凄まじく、これが「第一次上田合戦」へと繋がっていきます。

関ヶ原合戦後、再び徳川を裏切った昌幸は、家康から激しく憎まれ死罪を言い渡されてもおかしくない状況でした。長男・信之や本多忠勝の命がけの助命嘆願によって九度山への流罪に減刑されましたが、家康が最終的にその減刑を受け入れた背景には、昌幸の生き方に単なる野心を超えた「武士の意地」を見て、醜悪さ一辺倒では片付けられない何かを感じていたからなのかもしれません。
初めての上田城散策をより楽しむためのコツ
- 服装のアドバイス: 本丸周辺だけでなく、尼ヶ淵の崖下まで降りて石垣を見上げるのが上田城を最も体感できるルートです。高低差があるため、必ずスニーカーなどの歩きやすい靴を選びましょう。
- おすすめ周辺グルメ: 散策後は、上田名物の「信州そば」や、ニンニクの効いたタレでいただく「美味(おい)だれ焼き鳥」で旅を締めくくるのが定番です。
上田城へのアクセス方法
電車・新幹線でのアクセス(おすすめ)
最寄り駅からのアクセスが非常に良く、徒歩での移動がスムーズです。
- 最寄り駅: JR新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線「上田駅」
- 上田駅から城跡公園まで: お城口(北口)から徒歩約12分(ほぼ一本道で、城下町の雰囲気を楽しみながら歩けます)
車でのアクセス
- 高速道路から: 上信越自動車道「上田菅平IC」から約15分
駐車場情報(無料・有料)
車で訪問する場合、上田城跡公園の周辺にある駐車場を利用します。通常期は無料駐車場が利用できますが、イベント時は混雑するため有料駐車場や周辺のコインパーキングを視野に入れましょう。
上田城跡公園 駐車場
上田城跡公園の西側高台にある無料で停められる駐車場です。
アスファルト舗装はされていません。
上田城跡北観光駐車場(通常期:1時間無料 / イベント期:有料)
- 特徴: お城の北側にあり、本丸(真田神社など)に最も近いメインの駐車場です。
- 台数: 約220台
- 料金: 通常期は1時間以内は無料・3時間500円
1時間ごとに100円
特別期間は最大料金/500円(午前0時切替・繰返 適用)3時間500円
1時間ごと100円加算
最大料金/1,000円(午前0時切替・繰返適用)
特別期間とは「千本桜まつり」や「紅葉まつり」です。
上田城跡下(あまがふち)駐車場(通常期:1時間無料 / イベント期:有料)
- 特徴: 芝生広場や、見どころである「尼ヶ淵の断崖絶壁・高石垣」を見上げる崖下にある駐車場です。
- 台数: 約20台(少なめです)
- 料金:通常期は1時間以内は無料・3時間500円
1時間ごとに100円
特別期間は最大料金/500円(午前0時切替・繰返 適用)3時間500円
1時間ごと100円加算
最大料金/1,000円(午前0時切替・繰返適用)
特別期間とは「千本桜まつり」や「紅葉まつり」です。
上田城の観光所要時間・目安一覧

公園内をどれくらい深く、どのエリアまで足を延ばすかによって時間が変わります。

| 観光スタイル | 所要時間の目安 | 巡るエリアの目安 |
|---|---|---|
| サクッと定番コース | 約45分 ~ 1時間 | 東虎口櫓門、真田石、真田神社(真田井戸・巨大兜)をメインに、本丸周辺をさらっと散策するコース。 |
| じっくり歴史満喫コース (おすすめ!) | 約1時間30分 ~ 2時間 | 上記の定番に加え、現存する西櫓の拝観、尼ヶ淵(崖下)に降りて石垣を見上げる、本丸土塁の隅おとしや空堀(緑の谷)を巡り、上田市立博物館まで見学するコース。 |
まとめ:真田の魂が息づく上田城へ
天守はなくとも、真田一族の熱いドラマが上田城の至る所に染み込んでいる。それこそが、今も私たちを惹きつけてやまない上田城の本当の魅力なのだと、2回目の訪問で改めて確信しました。
今回の旅で、もっと真田のことを知りたくなった私は、翌日、真田家が繋いだもう一つの拠点である松代城を訪問。駐車場の近くにある真田宝物館で、公式ガイドブック『戦国の真田』を購入しました。本のページをめくりながら、そう遠くないうちに、またあの上田城へ足を運びたいと強く願っています。


