埼玉県北西部に位置する寄居町。荒川と深沢川が合流する天然の要害に築かれたのが、国指定史跡「鉢形城(はちがたじょう)跡」です。
関東の戦国時代において重要な拠点として機能し、日本百名城にも選定されているこの城は、「難攻不落の堅城」として歴史にその名を刻んでいます。もしあなたが戦国時代のロマンを感じたい、雄大な自然の中を散策したいとお考えなら、鉢形城跡はまさに必見のスポットです。
この記事では、北条氏邦が守り抜いた鉢形城の壮絶な歴史から、現地で絶対に見るべき見どころ、アクセス情報までを徹底解説します。歴史背景を知ってから城跡を巡れば、当時の城兵たちの息遣いや、難攻不落の秘密をより深く感じられるはずです。
鉢形城の歴史:天然の要害と北条氏邦の時代

鉢形城跡の魅力は、その圧倒的な立地と戦国史における重要性にあります。
築城から関東支配の拠点へ
鉢形城は、1476年(文明8年)に長尾景春によって築城されたのが始まりとされています。その後、関東管領の上杉氏の拠点として利用されましたが、この城の歴史を大きく変えたのが、戦国大名・北条氏です。
16世紀半ば、北条氏の四代当主・北条氏政の弟にあたる北条氏邦(うじくに)が城主となります。氏邦は鉢形城を大規模に改修し、北条氏の北関東における最重要拠点へと進化させました。氏邦は、この城を拠点として武蔵や上野へ勢力を拡大していきます。
荒川と深沢川が織りなす「難攻不落」の秘密
鉢形城が「難攻不落」と称された最大の理由は、その地理的条件にあります。城は、雄大な荒川と深沢川が合流する地点の断崖絶壁の上に築かれており、三方を川に守られた天然の要害です。
強敵であった武田信玄や上杉謙信の攻撃にも耐え抜いたその堅城ぶりは、現代においても土塁や堀の規模から容易に想像することができます。
豊臣秀吉の小田原攻めと壮絶な落城
鉢形城の歴史は、1590年(天正18年)に終焉を迎えます。天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原城を攻めた際、鉢形城もその支城として包囲されました。
前田利家や上杉景勝ら約35,000人の大軍に囲まれながらも、城主・北条氏邦は約3,000人の兵とともに約1ヶ月にわたる壮絶な籠城戦を展開しました。しかし、最終的には城兵の助命を条件に開城し、鉢形城はその役目を終えて廃城となりました。
鉢形城跡の見どころ:堅城の面影を巡る必見スポット
鉢形城跡は、曲輪や石垣が失われてもなお、戦国時代の堅城の面影を強く残しています。実際に訪れた際に「絶対に見るべき」スポットをご紹介します。
外曲輪:城内で最も長く、雄大な「土塁(どるい)」

外曲輪の最大の目玉は、城跡に現存する土塁の中で最も長いものが残っている点です。
- 規模: その長さは約200メートルにも及びます。太く長い土塁の上を一部遊歩道として歩けるようになっており、そのスケールの大きさと防御の厚みを実感できます。
- 歴史的役割: この土塁は、外曲輪の周囲を固める主要な防御線でした。これを間近で見ることで、城が単なる要塞ではなく、広大なエリアを防御していた様子が伝わってきます。
防御の堅固さ:伝逸見曲輪

伝逸見曲輪の最大の魅力は、当時の城の出入り口である虎口周辺の防御施設が発掘に基づいて復元・整備されている点です。

馬出(うまだし):虎口の前に築かれた半円形または方形の防御施設です。敵の侵入を遅らせ、ここから出撃したり、本丸へ直進されるのを防ぐ役割がありました。
土塁と空堀: 城の規模の大きさを感じさせる土塁と空堀が良好な状態で残っています。
石積土塁:北条流の築城技術の現れ

この石積土塁は、当時の北条氏が支配した地域(関東)の城に見られる独特の防御技術を今に伝えています。
- 石垣との違い: 西日本で発達した、石を緻密に組み上げ、内部に裏込め石を入れて高い強度を持たせる「石垣」とは異なります。鉢形城の石積みは、土で盛った土塁の表面を、崩れないように粗い石材で覆い固めた構造です。
- 効率性と強度: 関東には良質な石材が豊富になかったことや、石垣を築くよりも迅速かつ効率的に防御力を高めるために採用された工法だと考えられています。
伝秩父曲輪の「角馬出し」の見どころと重要性

見どころ(構造と機能)
- 形状と防御の仕組み: 虎口(出入口)を方形(四角)の土塁で囲んだ角馬出しの構造をしています。これは、敵の直進を防ぎ、虎口の位置を隠すとともに、味方が安全に兵を待機・出撃させるための防御された空間です。
- 防御の工夫: 土塁の折れや配置を見ることで、当時の築城技術者が、敵に死角を作り、側面から効果的に攻撃を加えるための工夫をしていたことが体感できます。
重要性(歴史的役割)
- 西側の防衛線: この馬出しは、城の西側、特に秩父方面からの攻撃に対する最重要の防御拠点でした。鉢形城が、北関東の要衝として広域的な防御体制を敷いていたことを示しています。
- 街道の抑え: 秩父方面に通じる街道(秩父街道など)のルートを押さえる戦略的な位置にあり、地域の交通と経済を監視・防衛する実務的な役割も担っていました。
圧巻のスケール!今に残る土塁と深い空堀

鉢形城跡の最大の魅力は、土塁(どるい)と空堀(からぼり)の保存状態の良さです。
特に二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀は非常に大規模で、その深さは約12mとも言われています。この深い堀と、周囲に築かれた高さのある土塁を目の当たりにすると、まさに難攻不落であったことが実感できます。
また、敵の侵入を防ぐために複雑な構造を持つ障子堀も復元されており、戦国末期の高度な築城技術を間近で見ることができます。
鉢形城と深沢川(ふかさわがわ)

深沢川は、鉢形城の構造と防御戦略において、主に以下の重要な役割を担っていました。
鉢形城は、北側と西側を流れる荒川(あらかわ)と、南側を流れる深沢川の、二つの川が合流する地点の台地の上に築かれています。

三方防御: 深沢川が南側から、荒川が西側・北側から城の主郭部(本曲輪など)を囲むことで、城の主要な曲輪が三方を断崖に守られる形となっていました。
この自然地形を最大限に利用したことが、「難攻不落の堅城」と呼ばれる最大の理由であり、深沢川はその天然の堀としての機能を提供していました。
本曲輪(本丸跡)からの雄大な眺め

城の中心であった本曲輪(本丸跡)からの眺めは格別です。
眼下には雄大な荒川が流れ、対岸は切り立った断崖となっており、天然の要害であったことが一目で分かります。四季折々の景色も美しく、北条氏邦もこの場所から領地を見守っていたのかと、ロマンを感じる絶景スポットです。

復元された四脚門と庭園跡

発掘調査に基づき復元された四脚門(しきゃくもん)や庭園跡は、当時の武士たちの暮らしぶりを想像させてくれます。広大な城跡の中で、復元された門は目印にもなり、城下から城内へ入っていく当時の気分を味わうことができます。
薬研堀の見どころと役割

見どころ
- 鋭いV字型の断面:当時の合理的な築城思考と、最も防御力の高い形状を追求した跡を視覚的に確認できます。
- 急峻な斜面と深さ:物理的に登攀が困難な斜面と、堀底の深い閉塞感から、防御の堅固さを体感できます。
役割
- 登攀と機動力の阻止:急斜面により、敵兵の城壁への到達を妨げ、堀底での移動や体勢立て直しを困難にします。
- 防御側の優位性確保:堀底にいる敵に対し、防御側は上から安全かつ容易に集中攻撃を加えることができ、力攻めを無効化する役割を果たしまし た。
氏邦桜(うじくにざくら)

鉢形城歴史館のそばには、樹齢150年を超えるエドヒガンザクラがあり、「氏邦桜」と呼ばれて親しまれています(寄居町指定天然記念物)。
春の開花時期には美しく咲き誇り、夜にはライトアップも行われます。難攻不落の堅城に咲く美しい桜は、戦国時代を生きた人々の「生」を感じさせる、人気の見どころです。
散策の前に立ち寄りたい!鉢形城歴史館
城跡散策の前に、まずは鉢形城歴史館に立ち寄ることを強くおすすめします。
館内には、城の精巧なジオラマや出土品、当時の歴史的背景を解説する映像展示があり、広大な鉢形城の全体像や、各曲輪の役割を事前に理解できます。予備知識を持って城跡を巡ることで、単なる土の山ではなく、立体的な防衛施設としての城のすごさを実感できるはずです。
鉢形城跡へのアクセス・駐車場・基本情報
最後に、鉢形城跡への訪問に役立つ実用情報をご紹介します。
| 項目 | 詳細情報 |
| 所在地 | 埼玉県大里郡寄居町鉢形 |
| アクセス | 東武東上線・JR八高線・秩父鉄道 寄居駅から徒歩約20分、またはタクシーで約5分 |
| 車でのアクセス | 関越自動車道 花園ICから約20分 |
| 駐車場 | あり(無料)※鉢形城歴史館横 |
| 見学料金 | 鉢形城跡(公園)は無料・自由見学 |
| 歴史館料金 | 一般200円(※料金や開館時間は変動する場合があります。公式サイトをご確認ください。) |
鉢形城跡 見学の所要時間目安
歴史館と主要な曲輪を巡るコース
歴史的背景の理解と、主な見どころを押さえたい方向けのコースです。
| 施設・エリア | 所要時間 | 見どころ |
| 鉢形城歴史館 | 30分~1時間 | ジオラマ、出土品、歴史映像で予習 |
| 本曲輪(本丸) | 15分 | 荒川の断崖絶壁(天然の要害)の絶景 |
| 二の曲輪・三の曲輪 | 20分 | 大規模な土塁と空堀(堅固な防御を実感) |
| 復元施設 | 15分 | 四脚門、庭園跡、氏邦桜(季節による) |
| 合計 | 1時間20分 ~ 2時間 |
じっくりと全周を巡るコース
伝逸見曲輪や外曲輪といった外郭防御施設まで、細部までじっくりと見学したい方向けのコースです。
| エリア | 所要時間 | 見どころ |
| 上記 主要コース | 1時間20分~2時間 | |
| 伝逸見曲輪 | 20分 | 石積土塁、馬出などの虎口(出入口)防御施設 |
| 外曲輪 | 30分 | 城内最長の土塁、深沢川越しの防御ライン |
| 合計 | 2時間10分 ~ 3時間 |
難攻不落の秘密を体感!鉢形城跡 登城記(2025年11月)
2025年11月17日(月)に鉢形城跡を訪問しました。残念ながら月曜日でしたので鉢形城歴史館はお休み。しかし、堅城の遺構を巡るには絶好の日和でした。
訪問してまず苦労したのが駐車場です。無事、「伝逸見曲輪の馬出」付近に駐車場を見つけ、散策をスタートしました。
城の中心部へ向かう際、本曲輪(本丸)の南側を通る2車線の道路に驚きました。交通量が多く、大型トラックも頻繁に見かけます。「二の曲輪」や「深沢川」方面から来城する際は、必ずこの道路を横断しますので、十分に注意が必要です。
なお、伝御殿下曲輪のエリアは広場として整備されていますが、隣接する敷地の一部に高齢者施設があるため、見学エリアと私有地の区別に注意して見学しました。
実際に広大な城跡を歩いてみて、武田信玄や上杉謙信の力攻めに耐え抜いた理由がはっきりとわかりました。唯一の攻め口は南側の外曲輪しか選択肢がありません。外曲輪は城内で最も長い土塁と深沢川によって防御されており、ここを突破するのは極めて難易度が高いと肌で感じました。
また、外曲輪を突破した先にも、空堀や土塁による防御ライン、そして伝逸見曲輪の馬出などの複雑な防御施設が待ち構えており、正面からの力攻めは不可能だと確信しました。豊臣軍でさえ、鉢形城を力攻めでは落とせていません。これこそが堅城さの何よりの証左でしょう。
鉢形城跡は手入れが非常に行き届いており、地元の方たちに大切にされている場所だと思いました。当日も草刈りが行われており、とても見学がしやすい環境です。
次は、氏邦桜が美しい桜の季節に再訪したいと思っています。

