小川城跡の深い空堀がすごい!アクセス・歴史(沼田氏・真田氏)と見どころ徹底ガイド【群馬】

小川城跡の深い空堀がすごい!アクセス・歴史と見どころ徹底ガイド 城ガイド

小川城跡とは?群馬県みなかみ町にある戦国の要害

小川城跡
小川城跡

群馬県利根郡みなかみ町にひっそりと佇む小川城跡(おがわじょうあと)は、戦国時代に上野国(こうずけのくに)の要衝を巡る攻防の舞台となった山城です。

特に、城の最大の特徴である「深い空堀(からぼり)」は、当時の土木技術と強固な防御思想を今に伝える貴重な遺構として、多くの城郭ファンを魅了しています。


小川城跡 最大の見どころは「深い空堀」

本丸を守る空堀と土塁
本丸を守る空堀と土塁

小川城跡を訪れたら、まず注目していただきたいのが、本丸(主郭)を防御するために掘られた空堀です。

突出した深さ!箱堀の迫力

小川城の空堀は、単に深いだけでなく、敵の侵入を徹底的に阻むための複雑な構造を持っています。

  • 深い谷のような構造: 堀の底から土塁(どるい)の上端まで、かなりの高低差があり、まるで天然の谷間のような迫力があります。
  • 箱堀の形状: 断面が箱型になっている空堀は、敵が堀の底を移動する際に身を隠しにくくする効果があります。

この堀は、ただの防御設備ではなく、城主がこの地を守り抜こうとした強い意志を示すシンボルでもあります。


小川城の歴史:沼田氏から真田氏へ

小川城は、築城から廃城まで、一貫して上野国北部の支配権を巡る激しい争いの中心にありました。

沼田氏による築城と小川氏の誕生

小川城は明応元年(1492年)、沼田城主の沼田景久によって、本拠地である沼田城の西方を固めるために築かれました。

景久の二男・景秋が城主となり「小川氏」を名乗り、一族が代々この城を守り続けます。この城は、沼田氏が北条氏や上杉氏といった大勢力に立ち向かうための重要な拠点でした。

真田・後北条の攻防の最前線

戦国時代が終盤を迎えると、小川城は、あの真田氏と後北条氏(小田原北条氏)が、沼田領の支配を巡って激しく争う最前線となりました。

  • 城主・小川可遊斎は、天正8年(1580年)に後北条氏の大軍を相手に籠城戦を展開し、一度はこれを撃退したとされています。
  • しかし、真田氏の勢力伸張や豊臣秀吉の小田原征伐を経て、小川城は最終的に真田氏の支配下に入ります。

江戸時代と真田信利

江戸時代に入り、沼田藩主・真田信之の系統の真田信利が、藩主となる前の時期に、小川城の三の丸跡に陣屋(じんや)を構えて住んでいた記録が残っています。

小川城は、戦国時代が終わってもなお、真田家にとってゆかりの深い場所であり続けました。


4. アクセス情報と周辺の観光スポット

小川城跡へのアクセス情報と、一緒に巡りたい周辺の城跡をご紹介します。

交通アクセス

交通手段詳細
関越自動車道 月夜野ICより約10分
公共交通JR上越線 月夜野駅より徒歩約30分
駐車場あり(見学者用のスペースが数台分あります)
上毛高原駅前ロータリー駐車場 2時間無料
城マニア
城マニア

筆者は上毛高原駅前ロータリー駐車場に停めたぞ。そこから小川城跡まで徒歩5分だった。

周辺のおすすめ周遊スポット

小川城跡は、真田氏ゆかりの城が点在する地域にあります。ぜひ、合わせて巡ってみましょう。

  1. 沼田城跡(ぬまたじょうあと)
    • 沼田氏、そして真田氏が本拠とした居城です。現在は沼田公園として整備されています。
  2. 名胡桃城跡(なぐるみじょうあと)
    • 小田原征伐のきっかけの一つとなった城です。真田氏の対北条氏の最重要拠点でした。

小川城跡の登城記

本丸跡
本丸跡

2025年11月17日に登城してきました。

岩櫃城跡からみなかみ温泉の宿泊施設へ向かう際に、偶然見つけました。

何かの縁と思い、みなかみ温泉で一泊した後、見学してきました。

まずは、説明板を読み、遺構を見学してきました。所要時間は20分程でした。

見どころは「空堀」です。見事な「空堀」だと思いました。とても美しいです。

小川城跡は本丸が最も良好な形で残っていますが、二の丸や三の丸などの郭(くるわ)跡の一部が、国道291号線やその他の道路、あるいは宅地や農地への転用などによって、多くが改変・破壊されています。

よって、見学者は空堀によって明確に区切られた「本丸」とその周囲の遺構を主に見ることになります。

見事な空堀は一見の価値があります。

まとめ

小川城跡は、地味な印象を持たれがちですが、残された深い空堀と、利根川の地形を利用した崖端城としての迫力は、日本の山城の魅力を存分に伝えてくれます。

関越自動車道からもアクセスしやすいため、群馬県を訪れる際は、ぜひ立ち寄ってみてください。